―― 松山区の路地で見つけた実質剛健 ――

松山区は、台北の中では語りにくい場所だ。
信義区ほど新しくもなく、万華区ほど古くもない。松山空港の滑走路に近く、南京東路のオフィス街を背中に抱え、住宅地が静かに広がっている。
大通りを走るバスの流れは速い。だが一本路地に入ると、歩く速度が自然と落ちる。
看板の色も音量も抑えめで、ここでは「目立つこと」があまり重要ではないように見える。
冠京華は、そうした街の緩衝地帯にある。
わざわざ探しに来る店というより、生活の流れの中で何度も前を通り、ある日ふと入る店だ。
蒸気が店の輪郭をつくる
店に近づくと、まず蒸気が見える。
煙ではない。油の匂いも強くない。白くて湿った蒸気が、入口の輪郭をぼかしている。
入口脇には、積み上げられた蒸籠。
それ自体が看板の役割を果たしているようで、特別な装飾はない。
ガラス越しに見えるのは、揃った制服の料理人ではなく、普段着のおじちゃんたちだ。
生地を伸ばし、具を包み、蒸籠に並べる。その動きは早いが、急いでいる感じはしない。
ここは演出された厨房ではなく、作業場に近い。
小籠包が並ぶテーブルの中で
店内に入ると、ほとんどのテーブルに小籠包がある。
薄い皮、レンゲに溜まるスープ。台湾を訪れる人が期待する光景が、確かにそこにある。
蒸籠の蓋を開けた瞬間に立ち上る香りは、脂と肉の匂いが中心だ。
小籠包は、この店でも完成度が高い。
だが、何度か来ているうちに、注文の指が止まる。
メニューの中ほどにある「菜肉餃」。
派手さはない。写真映えもしない。
だが、蒸籠から出てくるそれを見ていると、店の重心はここにあるようにも見えてくる。

蒸籠の中の「緑」
蒸籠の蓋を開けると、湯気の向こうに、淡い緑色が見える。
皮は小籠包より明らかに厚い。指で触ると、少し弾力がある。
持ち上げると重い。
レンゲに収まらず、少しはみ出す。形は整っているが、精密ではない。
ひと口噛むと、まず皮の歯切れが来る。
そのあとに、刻まれた青菜の繊維が広がる。
肉は主役ではなく、野菜をまとめる役割に近い。
脂はあるが、前に出てこない。
蒸気と一緒に、青菜の水分が抜け、噛むごとに口の中が軽くなる。
これは、味で驚かせる餃子ではない。
噛むという行為そのものが、食事になっている。
調味しなくても成立する構造
卓上には酢も辣油もある。
だが、菜肉餃に関しては、手を伸ばさない人も多い。
味が完成しているというより、構造が閉じている。
皮、野菜、肉、水分。その比率が崩れにくく、外から何かを足す必要がない。
小籠包が「瞬間的な快楽」を目指す料理だとすれば、
菜肉餃は「連続して食べられること」を前提にしている。
昼休みの限られた時間に、体を重くしない。
午後の仕事を邪魔しない。
そういう前提が、料理の中に組み込まれているように見える。
言葉の少ないサービス
ホールを回しているのは、年配のおじさんたちだ。
声は大きくない。笑顔も控えめだ。
注文票の前で迷っていると、少しだけ近づいてきて、短く確認する。
「菜肉餃?」
頷くと、それ以上のやりとりはない。
料理が運ばれる。
食べ終わった皿は、気づくと下げられている。
過剰に干渉しないが、放置もしない。
この距離感は、長く同じ場所で店を続けてきた人のものだ。
日常へ戻る
食べ終えて店を出ると、南京東路の音が戻ってくる。
車の音、人の声、信号の電子音。
胃に残っているのは、脂ではなく、野菜の水分だ。
満腹感はあるが、重さはない。
観光名所として語られる店ではない。
だが、都市の中で何度も必要とされるのは、こういう場所なのだと思う。
冠京華は、松山区という街の性格を、そのまま蒸籠に詰めたような店だ。
冠京華
105台北市松山區南京東路四段133巷4弄1號
9:00 – 14:00 / 17:00 – 20:30(月曜定休)
MRT台北アリーナ駅(台北小巨蛋)から徒歩約3分




