―― 炭水化物 × 炭水化物の誘惑 ――
台湾のお粥屋に入ると、まず視界に入るのは鍋でも丼でもない。
レジ横に山積みされた、茶色く細長い棒だ。
油條(ヨウティアオ)。
日本人はこれを見て、つい「揚げパン」と呼んでしまう。
そして次の瞬間、軽い混乱が起きる。
「お粥という米の料理を前に、なぜパンが出てくるのか?」
だが、この理解は最初からずれている。
茶色い棒は、パンではない
油條をそのまま齧ってみると、すぐに気づく。
ほとんど味がない。
甘くもなく、塩気も弱い。
あるのは揚げ油の香りと、内部に詰まった空気だけだ。
中はスカスカで、中空構造。
しっとり感も、噛み応えも主張しない。
これは主食としてのパンではない。
何かを吸わせるために存在する構造体だ。

スープを「飲む」のではなく「食べる」
台湾のお粥は、出汁が効いているとはいえ、基本は流動的だ。
スプーンですくえば、そのまま喉を通り過ぎていく。
ここに油條を浸す。
すると内部の空洞にスープが染み込み、
同時に揚げ油がゆっくりと滲み出す。
味が足される、というより、
液体の表面に油膜が張られる。
舌触りが変わり、温度が保持され、満腹感が立ち上がる。
これは調味ではない。
構造の変換だ。
食感は、時間とともに変化する
油條は、一度で食べ切らない。
浸した直後は、まだ硬さが残る。
表面はガリッと割れ、内部は乾いたままだ。
数秒後、境界線が生まれる。
外側はふやけ、内側はまだ空気を保っている。
さらに待つと、完全にスープを吸い、
形だけを残した柔らかな塊になる。
台湾人は、一杯の粥の中で
この時間による食感の遷移を楽しんでいる。

翻訳すると「巨大な天かす」
ここで、日本語に翻訳してみる。
淡白な出汁のスープ。
そこに投入される、具のない揚げ小麦粉。
染み出す油分によるコクの付与。
これは、どう見ても天かすだ。
日本では、天かすは粒として散らばる。
台湾では、それが棒状になっただけ。
点か、線か。
違いはその程度だ。
たぬきうどんの構造は、国境を越える
私たちは知っている。
うどんの汁を吸った天かすの、あの背徳感を。
本来は質素な汁物が、
油によって一段階「料理」になる瞬間を。
台湾の油條粥も、同じ発明だ。
最小のコストで、最大の満足感を生む装置。
宗教的に肉を避けていた時代にも、
庶民が腹を満たすために考え出した、合理的な構造。

たぬきうどん現象
炭水化物の重複だ、と眉をひそめる前に、
思い出してほしい。
私たちは、うどんを食べながら、
その上に揚げ玉をかけてきた。
台湾の朝の風景。
それは、国中の人々が巨大な天かすを粥に沈めている光景だ。
静かで、合理的で、どこか親しみ深い。
たぬきうどん現象、と呼んでもいい。

