―― 高雄の原宿が「新」堀江と呼ばれる理由 ――
高雄に「新堀江」という地名がある。
漢字だけを見ると、中国語としては少し奇妙だ。
「堀江」は、意味を成さない。
川でもなく、港でもない。
これは、日本語の「堀江」の音を、そのまま写した言葉だ。
日本統治時代、現在の塩埕区の一角は「堀江町」と呼ばれていた。
港に近く、外国の匂いが集まる場所だった。
つまり「新堀江」とは、
直訳すれば「ニュー・ホリエ」である。
名前の中に、すでに移動の予感が含まれている。
舶来品が動いた方向
かつての堀江町は、大人の街だった。
船員が持ち込む万年筆。
洋酒。
海外製の煙草。
少し怪しく、少し格好いい。
港町らしい緊張感のある商業エリアだった。
だが街は拡張し、
消費の中心は東へずれていく。
1980年代以降、
「海外のもの」を扱う役割は、
より若い層へ向けて再編成される。
それが新堀江だった。
大人の輸入品から、
若者の輸入品へ。
中身は変わったが、
「外の世界を売る場所」という機能だけは残った。

設計された若者の迷路
新堀江は、自然発生ではない。
歩いてみると、それがわかる。
車が入りにくい。
路地が細かく折れ曲がる。
小さな店が密集している。
これは偶然ではない。
90年代から2000年代にかけて、
明確に「東京」を参照して作られた空間だ。
原宿。
竹下通り。
裏原宿。
台湾の若者は、
ここで日本の雑誌を読み、
日本の音楽を聴き、
日本の服を着た。
新堀江は、
高雄の中に置かれた
小さな仮想日本だった。
ファッションが消え、食が残る
流行は移ろう。
服はECに移動し、
街に残る理由を失った。
だが、食は消えない。
今の新堀江で、
人を引き留めているのは、
明らかに食べ物だ。
とくに「天使鶏排」。
異様に分厚い。
骨が少ない。
ただそれだけで、列ができる。
片手にドリンク。
片手に揚げ物。
ファッションの街だった頃の制服は消え、
今はこの組み合わせが、
このエリアの現在形になっている。

「新」が古くなるとき
新堀江は、もう新しくない。
生まれてから三十年以上が経つ。
建物はくすみ、
看板のフォントも古い。
高雄の商業の重心は、
さらに北へ動いている。
だが、それは失敗ではない。
かつての堀江町が、
レトロな街として再評価されたように、
新堀江もまた、
別の役割を引き受け始めている。
何が移動し、何が残ったのか
夜。
爆音のK-POP。
古びたビル。
その間に立つと、
ここがかつて
「新しい堀江」であることを
誇っていた時代の気配が、
まだ薄く残っている。
繁華街は、
突然消えない。
名前を残し、
形を変え、
静かに次の場所へ移動する。






