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小籠包の「国際化」についての記録

小籠包は、台湾の街角に根づいた点心だった。
蒸籠の中で完結する、小さな料理だった。

それが、海を越えた。
味だけでなく、形式ごと運ばれ、異なる文化の中に定着していった。

そこには、偶然ではなく、いくつかの節目がある。


日本という最初の通過点

小籠包の最初の大きな輸出先は、日本だった。
1996年、新宿の百貨店に鼎泰豊が入る。

アメリカでも、ヨーロッパでもない。
先に選ばれたのは、日本だった。

百貨店という空間は、食べ物だけでなく、
「安心」「品質」「場の格式」を売る場所でもある。

日本の百貨店文化のなかで、
鼎泰豊は小籠包を「料理」ではなく、「体験」として提示した。

台湾の味がそのまま渡ったのではない。
日本という場を通ることで、
小籠包は一度「整えられた姿」になった。

そこで磨かれた基準が、
のちに世界へ出ていくための輪郭になっていく。


数字をまとった小籠包

小籠包は、手作業の料理である。
だが、国際化の過程で、その手作業は数値に置き換えられていった。

ひだの数。
皮の厚さ。
中に包む肉とスープの重さ。

「18のひだ」という数字は、その象徴のひとつだ。

味は言葉で共有できない。
だが、数字なら世界共通で伝わる。

職人の感覚に閉じていた技術が、
マニュアルとして記述され、運ばれるようになったとき、
小籠包ははじめて「輸出可能な料理」になった。

それは、料理というより、
一種の精密な工程に近いものでもあった。


ガラス越しの安心

鼎泰豊の厨房は、多くの場合、ガラス張りになっている。
職人が白衣を着て、無言で作業している姿が、店側から見える。

この構造は、味のためというより、
信頼のために用意されたものだった。

かつて、海外における中華料理には、
「おいしいが、内側は見えない」という印象がつきまとっていた。

鼎泰豊は、その裏側をあえて開いた。

清潔さを、言葉ではなく視覚で示した。
そこには、小籠包を「エスニック」から「普遍」へ移動させる意図が透けている。

料理だけでなく、
環境ごと設計して輸出していくという姿勢だった。


星を得た点心

香港の鼎泰豊がミシュランの星を獲得したことで、
小籠包の立ち位置は決定的に変わった。

屋台や食堂の点心だった料理が、
フレンチや懐石と同じ評価軸に置かれるようになった。

それは、単なる受賞ではない。
「点心」というジャンル自体の座標が変わった瞬間だった。

小籠包はエスニック料理ではなく、
世界の都市における「共有された味覚」へと入り込んでいく。

台湾という場所の名前もまた、
この小さな蒸籠の中から、静かに運ばれていった。

† 小籠包の記録を続けて読む

・小籠包の高級化
https://eatinthecorner.com/taiwan/xiaolongbao-luxuryization-taiwan/

・小籠包の国際化
https://eatinthecorner.com/taiwan/xiaolongbao-globalization-taiwan/

・小籠包のエンタメ化
https://eatinthecorner.com/taiwan/xiaolongbao-taptapization-taiwan/


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