―― 記憶に刷り込まれた黄色い虎 ――
台北に長くいた人には、
ある色が記憶に沈殿している。
黄色い地に、赤い文字。
少し古風な虎のマーク。
かつて「老虎醤温州大餛飩」といえば、この配色だった。
それは味や店名よりも先に、
「安くて、量が多い」という情報を視覚で伝える信号だった。
街を歩けば、一定の間隔でこの黄色が現れた。
黄色は、都市の背景色の一部になっていた。
擬態が増えすぎた街
問題は、その分かりやすさにあった。
「温州大餛飩」は一般名詞だ。
誰のものでもなく、誰でも使える。
結果として、
本家と無関係な店、
個人経営の老舗、
どこまで意識しているのか分からない模倣店まで、
同じような黄色と赤を使い始めた。
気づけば、
街全体が似た看板で埋まり、
どれがどの系譜なのか、
もはや区別できない状態になっていた。
黄色は増えすぎて、
逆に意味を失い始めていた。
白へと移行した本家
そこで、本家とされる老虎醤系のチェーンは、
看板の色を変えた。
ベースは白。
文字は整理され、フォントも現代的になった。
清潔感があり、
以前の「大衆食堂」のイメージからは距離を取っている。
黄色を捨てることは、
過去の成功を手放すことでもあったはずだ。
それでも白を選んだのは、
「我々は他とは違う」という、
静かな主張だった。

更新されない記憶
だが、街の記憶は簡単には更新されない。
昔のガイドブックを持つ旅行者。
長年の感覚で動く地元の年配者。
彼らにとって、
「本物の大饂飩」は今でも黄色のままだ。
白い看板の前を素通りし、
懐かしい黄色に引き寄せられていく。
結果として、
本家は白に、亜流は黄色に残る
という奇妙な逆転が生まれた。
色が、真贋を示さなくなった瞬間だ。
色よりも、器の中身
白い店で食べても、
黄色い店で食べても、
テーブルに置かれるものは似ている。
大きな餛飩。
厚めの皮。
中に詰まった肉の重み。
そして、必ず添えられる辛味の調味料。
看板の色が違っても、
口に入る感覚は、大きくは変わらない。
結局のところ、
判断基準は色ではなく、
器の中にある。
それぞれの虎
今の台北には、
白い虎と、黄色い虎が同時に存在している。
白い虎は、
均質さと安定を提供する。
黄色い虎は、
過去の記憶と、少しの不確かさを含んでいる。
どちらが正しいかは、
もはや重要ではない。
ラー油が十分に辛く、
餛飩が十分に重ければ、
看板の色は、自然とどうでもよくなる。



