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台湾のサツマイモ(地瓜)についての記録

台湾の地図を広げると、南北に細長く、やや湾曲していることに気づく。
それを台湾人は、よくサツマイモ(地瓜)に例える。

この比喩は冗談ではなく、ほとんど常識に近い。
自分たちのことを「芋頭番薯(タロ芋とサツマイモ)」と呼ぶ言い回しもある。
高貴ではないが、よく育ち、よく腹を満たすもの。
そういう自己認識が、そのまま言葉になっている。

日本における米が、単なる主食以上の意味を持つように、
台湾におけるサツマイモも、ただの作物ではない。
この島が、何度も飢えと災害をくぐり抜けてきたことを、
地下で静かに記憶している存在である。


台風と痩せた土地の中で

サツマイモが台湾に入ったのは、17世紀のオランダ統治時代か、それ以前だとされる。
原産地はアメリカ大陸で、そこから太平洋を渡ってきた。

なぜこの島に定着したのか。
理由は単純で、強かったからだ。

稲作は水を必要とし、台風に弱い。
一方、サツマイモは痩せた土地でも育ち、
風が吹いても、地上が荒れても、土の中でじっと耐える。

長いあいだ、米は「売るもの」「税として納めるもの」であり、
サツマイモは「自分たちが食べるもの」だった。

「米が泣けば芋が笑う」という言葉がある。
米価が上がれば、庶民は芋を食べる。
この感覚が、台湾の食の底に沈んでいる。


見えない芋としての支配

台湾料理を食べるとき、
人はしばしば、自分がサツマイモを食べていることに気づかない。

地瓜粉。
サツマイモから作られたデンプンだ。

この粉は、姿を消して料理に入り込む。
味ではなく、食感として存在する。

台湾食文化の核心である
「Q(弾力)」と「酥(サクサク)」は、
このデンプンの物理的な性質から生まれる。

サツマイモは、
目に見える主役であることをやめ、
噛んだときの反発力として島の食卓を支配している。


皿の上で働く地瓜粉

その地瓜粉が、どこで使われているかは、
意外と身近な料理に現れる。

夜市の巨大な鶏排の、あのカリカリした衣。
蚵仔煎(オアチェン/牡蠣オムレツ)の、粘り気のある生地。
肉圓(バーワン)の、プルプルとした皮。

これらはすべて、
サツマイモ由来のデンプンで構造を保っている。

小麦でも、米粉でもない。
あの独特の食感が生まれるのは、
地瓜粉という素材が介在しているからだ。

芋は、ここでは野菜ではない。
料理を成立させるための、工業的な素材として働いている。


遊ぶ芋と、働く葉

夜市で行列ができる地瓜球(サツマイモボール)は、
サツマイモを団子状にして揚げた菓子だ。

中は空洞で、噛むとモチモチする。
かつての救荒作物は、
いまでは「楽しさ」を提供する存在になっている。

一方で、地瓜葉。
サツマイモの葉は、かつて豚の餌だった。
いまは燙青菜として、
健康野菜の代表格になっている。

芋も、葉も、茎も。
余すところなく使う姿勢は、
この島が長く培ってきた現実的な知恵に近い。


コンビニにある地下の記憶

台湾のコンビニに入ると、
レジ横に必ず焼き芋の機械がある。

中に入っているのは、どれも同じ芋ではない。
黄金色(黄色)で甘みの強い台農57号、
鮮やかなオレンジ色でしっとりした果肉の台農66号。
品種ごとに、焼いたときの香りと糖度がわずかに異なる。

年間、数千万本が売れるという。
OLや学生が、朝食代わりに買っていく。

かつての「貧乏人の食事」は、
いまでは「健康で手軽なスーパーフード」として再定義されている。

形を変えながら、
サツマイモはこの島の胃袋を支え続けている。


根を張るということ

粉として、葉として、団子として、焼き芋として。
台湾料理の中で、サツマイモはさまざまな姿を取る。

それは、この作物がどんな環境にも適応してきた証拠でもある。

台湾人が自らをサツマイモに例えるのは、
地図の形が似ているからだけではない。

しぶとく、形を変えながら、生き残る。
その性質が、島の記憶と重なっている。

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