―― 街に溶け込む公共自転車ができるまで ――
台北の街を歩いていると、黄色と白の自転車が、いつも視界のどこかにいる。
交差点の角、MRTの出口、大学の門の前。
あまりにも当たり前の存在になっていて、
それが「誰かが設計した仕組み」だということを、
つい忘れてしまう。
YouBikeは、
単なる移動手段というより、
街のインフラそのもののように思える。
その背景には、
ひとつの自転車メーカーと、
市政府と、
そしてひとりの老人が関わっている。
台北の片隅で、最初のYouBikeはあまり使われなかった
YouBikeの最初の実験は、
2009年、台北市・信義区で始まった。
500台、11ステーション。
市政府と百貨店が集まる、
いかにも「成功しそうな場所」だった。
だが、当初の利用者数は多くなかったとされている。
当時の台北では、
- MRTもバスもすでに十分発達していた
- バイクは速く、自由度が高かった
- 自転車は汗をかき、雨に弱い移動手段だった
自転車は、
日常の足というより「わざわざ乗るもの」だった。
そのため、
信義区に置かれた自転車は、
しばらくのあいだ、
雨ざらしの公共物として静かに存在していた。
YouBikeは、
最初からうまくいっていた制度ではない。

劉金標という「自転車伝道師」
それでも事業が止まらなかった背景には、
GIANT(巨大機械)創業者、
劉金標(King Liu)の存在がある。
彼は、自転車を
単なる製品ではなく、
生活様式(Cycling Lifestyle)として広めようとしていた。
- 健康のための道具
- 自動車やバイクに依存しない都市の足
- 台湾が世界に示せる文化のひとつ
そうした考えの延長線上で、
GIANTは台北市とBOT方式で
公共自転車システムを引き受ける。
※BOT方式
Build(建設)・Operate(運営)・Transfer(移管)
台湾の公共事業でよく使われる手法。
事業の初期は赤字だったが、
「これはGIANTのCSRだ」として
継続が決められたとされている。
劉金標自身も、
会長職の晩年に台湾一周や中国大陸のロングライドを行い、
高齢者が自転車に乗る姿を、
言葉ではなく行動で示し続けた。
YouBikeは、
行政のプロジェクトであると同時に、
ひとりの創業者の思想が支えた
文化的な実験でもあった。
1.0から2.0へ──制度を統一した転換点
YouBike 2.0は、
技術的な進化として語られることが多い。
だが、制度史として見ると、
より重要なのは「統一」だった。
YouBikeが普及する以前、
台湾各地には複数の公共自転車構想が存在していた。
- 自治体ごとに異なる設計
- 運用ルールも統一されていない
- 成功例もあれば、静かに消えた企画もある
それらを整理し、
「台湾の公共自転車はこの形で行く」
という事実上の標準を示したのが、
YouBike 2.0だった。
YouBike 1.0
- 駐輪ラックとキオスクを地下ケーブルで接続
- 設置に電気工事と掘削が必要
- 公園や広い歩道向き
YouBike 2.0
- 通信機能と電源を自転車側に内蔵
- ステーションは簡素なライトドック
- 設置条件が大幅に緩和
この変更によって、
YouBikeは実験的な交通手段から、
全国展開できる公共インフラの仕様へと整理された。
2.0は、
新しい仕組みを生んだというより、
散らばっていた構想を一本にまとめた
制度的な転換点だった。

運用は裏方に徹する
YouBikeの運用には、
再配置や整備といった地味な作業が欠かせない。
だが、それは
前面に出るべき特徴として設計されてはいない。
- どこかが常に満車や空になる
- 壊れた車体が長期間放置される
そうした状態を
「見せない」こと自体が、
制度の完成度を支えている。
再配置も、整備も、
利用者が意識しない前提で淡々と行われる。
YouBikeは、
効率や革新を誇示するシステムではなく、
不具合が表に出ないことを良しとする公共サービスとして
運営されている。
ラストワンマイルという位置づけ
YouBikeは、
都市交通の主役ではない。
MRTやバスを補完する、
短い距離をつなぐ存在として
制度的に位置づけられている。
- 単体で利益を最大化しない
- 移動全体の使いやすさを底上げする
そのために、
料金や設置場所、運用ルールが決められてきた。
YouBikeは、
便利だから使われる乗り物というより、
使われ続ける前提で街に組み込まれた制度だと言える。

街角でYouBikeを見る
三民区の路地で、自転車を返却した。
ステーションの数字が、ひとつだけ減る。
誰が次に借りていくのかは分からない。
ただ、この自転車が今日も何度か街を往復し、
またどこかで返却されることだけは確かだ。
YouBikeは、
都市計画の成果物というより、
街の一部として静かに循環している。
信号が変わり、
バイクの列が動き出す。
ステーションの前を、
また別の黄色い車体が通り過ぎていった。



