―― 周王朝から始まる3000年の歴史 ―― 
魯肉飯については、よくこう説明される。
貧しい時代に、クズ肉を美味しく食べるために生まれた料理だ、と。
それは半分だけ正しいように見える。
ただ、その説明は射程が短い。
魯肉飯は、台湾の路地裏だけで完結した料理ではない。
この丼の原型は、紀元前の中国・周王朝の記録に残っている。
それは、ユーラシア大陸を渡り、海を越え、日本統治時代を経て、いまの形に落ち着いたものらしい。
魯肉飯の中には、食べ物の歴史というより、生存の記憶が煮込まれている。
そう考えると、屋台の一杯が少し違って見える瞬間がある。
紀元前:王の料理「淳熬(チュンアオ)」
魯肉飯の起源を探すと、時空は一気に紀元前まで遡る。
中国の古い儒教経典『周礼(しゅらい)』に、その痕跡らしき記述が見えるのだ。
『周礼』は、周王朝(紀元前11世紀〜前256年)の制度や儀礼を記した書物だとされる。
その中には、「王が食べる八つの珍味」として、八珍(はっちん)という献立のリストがある。
その一つとして名を連ねるのが、淳熬(チュンアオ)である。
記述そのものは簡潔で、具体的な分量や調理法の細部まで書かれているわけではない。
ただ、その輪郭は驚くほど明快だ。
肉の醬(ひしお)を煎じて、
米の上にかける。
その上に脂をかける。
こう書かれている。
ここで使われている醬(ひしお)という言葉は、肉を発酵させたり、塩や香辛料で味付けしたりする「旨味の元」を指す。
これを煎じて米の上に注ぎ、さらに脂を重ねるという構造は、いまの魯肉飯が持つ基本的な感覚とどこか似ている。
現代の魯肉飯では、煮込んで濃厚になったタレが飯の上にかかる。
その上に脂のとろみが絡んで、米粒をまとわせる。
その一連の体験は、淳熬の行為と重なって見える。
3000年前、それは「貧乏人のメシ」ではなく、皇帝や貴族が食べる「最先端のグルメ」だった。
魯肉飯は、最初から質素な料理として生まれたわけではないように見える。
海を渡った保存食「滷(ルー)」
時代が下り、舞台は清朝期へ移る。
福建省から台湾へ渡る移民たちがいた。
彼らが持ち込んだのは、料理そのものというより、保存の技術だったとされる。
滷(ルー)である。
滷の本質は、醤油と香辛料で煮込むことにより、腐敗を防ぎ、保存性を高めることにある。
継ぎ足して使える滷汁(煮込みダレ)は、単なる味付けではなく、生活を支える装置だった。
台湾海峡の荒波を越え、未開の地を開拓する移民にとって、
一度作った滷汁を捨てずに育てることは、食材を無駄にしない知恵でもあった。
ここで魯肉飯は、王の料理から、開拓者の保存食へと性格を変える。
豪奢な珍味ではなく、続けて食べられるものへ。
日々の不確実さを越えるための、確実な一杯へ。
日本統治時代:米の革命「蓬莱米(ほうらいまい)」
魯肉飯の歴史の中で、ひとつ大きな転換点がある。
それは、米が変わったことだと言われる。
以前の台湾の米は、在来種が中心だった。
インディカ米のように、粒が長く、パサパサした長粒種に近い性格を持つものも多かった。
こうした米にタレをかけると、染み込みすぎて、べちゃっとしやすい。
汁気を吸い込んだ米は重たくなり、丼としての輪郭が崩れることがある。
そこへ、日本の統治が入り、ジャポニカ米の改良種である蓬莱米が普及していく。
短粒で、粘り気があり、甘みがある。
米だけで食べても成立する、まとまりの良さがある。
この米と、魯肉飯のタレが出会った。
とろみのある豚皮のタレが、粘りのある米に絡む。
汁が米に吸われすぎず、表面にまとわりつく。
「粘りのある蓬莱米」×「とろみのある豚皮のタレ」
この組み合わせが、現在の「タレが米に絡みつく魯肉飯」を完成させた。
つまり今の魯肉飯は、中華のタレと、日本の米の組み合わせとして完成した面がある。
味は台湾だが、構造の一部は、外から持ち込まれたものに支えられている。
戦後:経済のガソリン
戦後、1960〜70年代。
台湾は高度経済成長期に入る。いわゆる台湾の奇跡の時代だ。
この時期、魯肉飯は、汗を流して働く肉体労働者たちのエネルギー源になったと言われる。
昼休みは短く、食事は速く、腹に溜まるものが求められた。
魯肉飯は、炭水化物と脂を一度に摂れる。
腹持ちが良く、すぐに動ける。
それは贅沢ではないが、必要な条件を満たしていた。
なぜ豚皮なのか、という問いもここに残る。
安いから、という説明はある。
ただそれだけではなく、即効性のカロリーと、腹持ちの良さが重要だったように見える。
労働者たちは、魯肉飯と、貢丸湯(肉団子スープ)をかき込み、すぐに現場へ戻った。
魯肉飯は、台湾のビルを建て、道路を敷いた人々のガソリンだった。
そういう言い方が、誇張ではなく感じられる場面がある。
アイデンティティへの昇華
魯肉飯は長い間、ただの日常食だった。
あまりにも身近で、語る必要がない料理だった。
しかし2011年の「ミシュラン事件」を経て、空気が少し変わった。
魯肉飯は、日常の中の食べ物から、台湾人の誇りの象徴へと引き上げられていく。
外からの誤解が、内側の自覚を強める。
その動きは、台湾の食文化では時々起きる。
今では総統府の晩餐会でも魯肉飯が出されるようになったと言われる。
かつての王の料理としての地位を、形を変えて取り戻した、と見ることもできる。
魯肉飯は、派手な料理ではない。
ただ、静かに国を支える料理として、中心に立つことがある。

丼の底に見える歴史
魯肉飯を食べるということは、単に豚肉ご飯を食べているのではない。
周王朝のレシピの影を味わい、福建移民の保存の知恵を感じ、
日本の米改良の恩恵を受け、戦後の労働者の熱気を取り込む行為でもある。
この小さな丼の中には、台湾という島の複雑でたくましい歴史が、すべて煮込まれている。
そう考えると、屋台の一杯は、少しだけ重みを増す。
ただ、その重みは説教くさくない。
湯気と一緒に立ち上がり、食べ終わる頃には消えていく。
魯肉飯は、そういう距離感で歴史を運んでいるのかもしれない。







