―― 消えた「7頭のクジラ」と、オランダ支配を終わらせた泥 ――
台南を歩いていると、「鯤鯓(クンシェン)」という地名に出会う。
海から離れた陸地に、なぜ「クジラの背中」という字が残るのか。
理由は単純で、ここはもともと海だった。
17世紀、台南の沖合には7つの細長い砂州が並び、
波間に浮かぶクジラのように見えた。
「一鯤鯓」から「七鯤鯓」。
都市を守る7頭のクジラは、海の入り口を塞ぐ防波堤でもあった。
なぜオランダはここを選んだのか
オランダが欲しかったのは「台湾そのものの支配」ではなく、
アジア貿易の中継拠点だった。
そのために必要なのは、守りやすく、船を停めやすい港。
台江内海は、その条件を満たしていた。
・外側は7つの砂州が波を遮る天然の盾
・内側は広いラグーンで、大型船が安全に停泊できる
・潮の干満を利用して港を運用できる
・周辺には砂糖、鹿皮、樹脂など交易品が豊富
オランダにとって台南とは、
占領地というより「アジアのハブステーション」に近かった。
第一のクジラ:ゼーランディア城
7つの砂州のうち、最も重要なのが「一鯤鯓」。
現在の安平古堡(ゼーランディア城)が建つ場所である。
本土側は湿地で足元が悪く、防御拠点に向かない。
対して一鯤鯓は、ラグーンの入口を押さえる「鍵穴」の位置にあった。
ここに城を置けば、
・港を守れる
・税を取りやすい
・航路を管理できる
オランダの台湾経営は、まさに一頭のクジラの背上で成立した。
オランダ支配を揺らした「泥」という敵
1661年、鄭成功が上陸したとき、勝敗を決めたのは武器ではなく地形だった。
台江内海は、曽文渓が運ぶ土砂で毎年浅くなっていた。
巨大戦艦が自由に動ける海では、もはやなかった。
鄭成功軍はこの浅瀬を逆手に取り、
満潮の一瞬を突いて鹿耳門から内陸部に奇襲上陸した。
これにより、オランダの二つの拠点は分断され、
まずプロヴィンティア城(現在の赤崁楼)が陥落、
次いでゼーランディア城が長期包囲の末に開城へと追い込まれた。
もしラグーンが深いままなら、
オランダ軍は圧倒的に有利だったはずだ。
泥が城の周囲を塞ぎ、泥が港の価値を奪い、
泥がオランダの撤退を早めたと言ってよい。
オランダが負けた理由は、
鄭成功だけでなく「地形そのもの」だった。
陸に上がったクジラたち
いま、7頭のクジラはこうなっている。
・二鯤鯓 → 億載金城の周辺として形を残す
・三鯤鯓 → 漁光島としてわずかに残存
・四〜七鯤鯓 → 完全に陸化し、市街地として消化された
海は土砂に埋まり、砂州は陸になり、
かつての海の景色は地図の層の中に沈んでいる。
地名という化石
台南を歩くと、「鯤鯓」という文字がふと現れる。
その一文字が、かつてここが海で、砂州が浮かび、
オランダ船が行き交っていた時代を静かに語っている。
人間の支配よりも早く、
地形が港を生み、地形が港を殺した。
私たちが歩く舗装路は、かつてクジラが背を出していた海の表面にあたる。
都市の地層には、人間の物語よりも長い時間が横たわっている。
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