台湾の揚げオレオについての記録

鹽酥雞や鶏皮、バジルが並ぶ屋台のケースに、黒く丸いオレオが混じっている。衣をまとって油を通ったそれは、見慣れたクッキーの顔を残したまま、別の食べ物の列に収まっている。

夜市で鹽酥雞の屋台を眺めていると、ふと視界に入ってくるものがある。
バジルでも、イカでも、鶏皮でもない。
黒く、丸く、見慣れた模様。

オレオだ。

最初は見間違いだと思う。
だが、よく見ると確かにメニュー表の一角に「OREO」の文字がある。
しかも、かなり自然な顔で並んでいる。

揚げ物屋のラインナップに、クッキー。
この時点で、観光客の理解は一度止まる。


甘いものを、揚げるという発想

揚げオレオは、文字通りオレオを衣で包み、油で揚げたものだ。
特別な細工はない。
砕かず、割らず、丸ごと。

衣は厚すぎず、薄すぎず。
揚げ上がると、外側は淡い黄金色になる。
割ると、中から黒いクッキーと白いクリームが現れる。

熱で少し溶けたクリームは、もはや元の形を保っていない。
クッキーも、サクサクというより、しっとりに近い。

これはオレオを「強化」した料理ではない。
むしろ、一度壊してから、別の位置に置き直している。


鹽酥雞の文脈で考える

重要なのは、これがスイーツ屋ではなく、鹽酥雞の屋台で売られているという点だ。

同じケースの中には、
鶏肉、エリンギ、サツマイモ、四季豆、甜不辣。
どれも塩と胡椒、そして油の文脈にある。

揚げオレオも、そこに置かれることで「デザート」ではなくなる。
食事の途中に差し込まれる、異物。
味覚の流れを一度切るための装置だ。

台湾の夜市では、
甘い/しょっぱい
主食/間食
という区切りが、あまり強くない。

同じ油で揚げ、同じ紙袋に入れ、同じタイミングで食べる。
その時点で、揚げオレオは鹽酥雞の一部になる。


外は熱、内は崩壊

揚げオレオに鼻を近づけると、
少しだけ、ニンニクやバジルの香りがする。
同じ油で鶏肉やイカを揚げているからだ。

かじると、まず衣が割れる。
その直後、熱が来る。
そして、予想より早く、中が崩れる。

クッキーは原型を保っているが、抵抗は弱い。
クリームは流れ、全体が一体化していく。

サクサクでも、Qでもない。
むしろ「溶けかけ」の食感に近い。

この中途半端さが、台湾的だと思う。
完成度を高めるより、変化の途中を楽しむ。


なぜ、わざわざオレオなのか

夜市には、もっと揚げやすい甘いものもある。
バナナ、タロ芋、餅。

それでもオレオが選ばれる理由は、たぶん単純だ。
誰もが知っているからだ。

見た瞬間に、味を想像できる。
そして、その想像が外れる。

台湾の屋台は、このズレをよく使う。
期待と現実の差分を、そのまま「体験」に変える。

揚げオレオは、美味しさの追求というより、
一瞬の戸惑いを売っている。

台湾のピザハットについての記録

台湾のピザハットでは、チーズの上にオレオが散り、黒糖タピオカや鹽酥雞がピザの具として並んでいる。夜市なら見慣れたものが、丸い生地の上に集まると、急に別の料理に見えてくる。

世界の片隅でいただきます

夜市における「黒」

もう一つ、視覚の話をしておきたい。

揚げ物のケースの中で、オレオは明らかに黒い。
この黒は、よく目立つ。

白や茶色が多い揚げ物の中で、
オレオは異物として機能する。

選ばせるための色。
立ち止まらせるための黒。

夜市は、味だけでなく、視線の取り合いでもある。
揚げオレオは、その点でも非常に合理的だ。

台湾のオレオ(OREO)についての記録

台湾の屋台やカフェでは、オレオが袋から出したままのクッキーとしてではなく、車輪餅に埋まり、ピザに載り、ミルクティーの表面を覆っている。黒い円形や砕けた粒が、甘い菓子の姿から離れて別の役割を与えられている。

世界の片隅でいただきます

黒いクッキーは、もうクッキーではない

揚げられた時点で、オレオは菓子棚から追い出される。
それは、ナビスコのクッキーではなく、
夜市の一具材になる。

粉ものでも、Qでもない。
デザートでも、主役でもない。

ただ、油の中を一度通過した黒い塊。

夜市でそれを見かけたとき、
驚くのは自然だと思う。

だが同時に、
「台湾なら、まあ、あり得るかもしれない」
と思ってしまう自分にも気づく。

揚げオレオは、
台湾の夜市が持つ許容範囲の広さを、
静かに示している。

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