MENU

EasyCardが示す台湾インフラの完成形

台湾を歩いていると、
説明されないまま成立しているものがいくつかある。

EasyCardも、その一つだ。

買い方を詳しく知らなくてもいい。
使える場所を全部把握していなくてもいい。

とりあえず出せば、だいたい通る。

この雑さが、
実は異常な完成度を示している。


「誰でも」が成立しているということ

EasyCardは、
特定の人向けに最適化されていない。

高齢者でも、
子どもでも、
観光客でも、
言語が分からなくても使える。

アプリの登録も、
本人確認も、
残高管理の知識も要らない。

これは「親切」ではない。
要求水準が極端に低いという設計だ。

誰でも使えるとは、
誰にも頑張らせない、ということだ。


「どこでも」が成立しているという異常さ

EasyCardは、
台北だけのカードではない。

MRT、バス、台鉄、LRT、YouBike。
都市も、事業者も、行政区分もまたぐ。

本来ここには、
必ず境界が生まれる。

  • どこが管理するのか
  • 誰が責任を持つのか
  • 収益をどう分けるのか

それでも、
「一枚でだいたい行ける」状態が作られた。

これは技術の成果ではない。
調整をやり切った結果だ。


「何にでも」が許されている理由

EasyCardは、
交通カードでありながら、
決済カードでもある。

コンビニ、
自販機、
簡単な買い物。

用途は増えたが、
主張は強くならなかった。

QR決済のように
囲い込まない。

クレジットカードのように
信用を要求しない。

EasyCardは、
用途を限定しなかった

だから、
生活の隙間に入り込めた。


行政主導と、安価な技術という割り切り

EasyCardは、
台北市政府主導で始まった。

民間の実験ではなく、
最初から公共インフラだった。

採用された規格は、
安価で枯れたMIFARE。

最先端ではない。
だが、壊れにくい。

高度なセキュリティも、
厳密な本人認証もない。

それらを削ったことで、
揉める理由も削った。

EasyCardは、
技術を下げることで、合意を成立させた


変な形のカードが許された理由

EasyCardには、
フィギュアのようなカードがある。

キーホルダー型。
キャラクター型。
立体物。

普通なら、
公共インフラとして排除される。

だが台湾では、
読めればいい。

形よりも、
流れを止めないこと。

ここでも、
「正しさ」より「通ること」が優先された。


誰でも・どこでも・何にでも

EasyCardの凄さは、
洗練ではない。

一枚で島を歩ける、という事実だ。

誰でも使えて、
どこでも通って、
何にでも使える。

この三つを同時に成立させるのは、
本来かなり難しい。

台湾は、
完璧を捨てることで、
それを実装してしまった。

技術でも、
デザインでもなく、
社会の選択がここに残っている。

だから今も、
説明なしに通る。

■ 関連する記録

■ 全体像の記録


よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次