―― 世界最大の自転車メーカーについての記録 ――
台中・大甲。
観光地でもなく、工業団地というほどの景色でもない。
田んぼと低い建物が続く、どこにでもありそうな町だ。
だが、この一帯は、
世界の自転車産業にとっては中心に近い場所でもある。
トレック。
スペシャライズド。
キャノンデール。
完成車に刻まれているロゴは違うが、
その多くは台湾で作られてきた。
正確に言えば、この島の中部に集積した工場群を起点にしている。
なぜ、この「台湾の片隅」が、
世界の高級自転車の供給地になったのか。
その問いの中心にいるのが、GIANTだ。
GIANTは、最初から主役だったわけではない。
むしろ長いあいだ、黒子に近い立場にいた。
シュウィンとの決別と、下請けの限界
GIANTの創業期は、
アメリカの名門ブランド、シュウィン(Schwinn)のOEMだった。
設計は相手が握る。
ブランドも相手のもの。
価格の最終決定権も、相手にある。
台湾の多くの製造業がそうであったように、
GIANTもまた「作る側」として成長していった。
転機は突然やってくる。
シュウィンが、中国への生産移転を決めた。
コストの論理としては、自然な判断だった。
だが、その瞬間、
GIANTは売上の大半を失う。
このとき突きつけられたのは、
経営理念ではなく、生存条件だった。
作るだけでは、生き残れない。
他人のブランドを支えている限り、主導権は戻ってこない。
GIANTが自社ブランドに舵を切ったのは、
理想主義からではない。
追い込まれた末の、生存戦略だった。
「Made in Taiwan」を最高品質にするという賭け
当時の台湾製品の評価は、決して高くなかった。
安い。
そこそこ使える。
だが、憧れの対象ではない。
GIANTは、ここで価格競争を選ばなかった。
軽量化。
アルミ、カーボン素材への投資。
製造プロセスそのものの見直し。
OEMで鍛えられてきた現場力を、
初めて「自分たちの名前」のために使う。
重要なのは、
GIANTがやったのはマーケティングの刷新ではなく、
製造業としての再定義だったという点だ。
台湾製は、安いから選ばれるのではなく、
品質で選ばれる存在になれるのか。
GIANTは、その賭けに出た。
結果として、
台湾製造業が初めて「品質で主語を取った」存在になったとも言える。
劉金標の「73歳の決断」
GIANTの転換を語るとき、
創業者・劉金標(King Liu)の存在は避けて通れない。
2007年、73歳。
彼は自ら自転車で台湾一周を行った。
これは広告ではない。
製品デモでもない。
自転車は、
労働者の移動手段で終わるものではない。
健康を保ち、考える時間をくれる移動手段になり得る。
映画『練習曲』と同じ空気の中で、
台湾における自転車の意味が、静かに書き換えられていった。
GIANTが売ったのは、自転車そのものではない。
自転車に乗るという生活様式だった。
YouBikeは「儲け」のためではなかった
その延長線上に、YouBikeがある。
世界中で、シェアサイクル事業は撤退を繰り返した。
多くの企業が、赤字を理由に手を引いた。
それでもGIANTは、YouBikeを引き受けた。
興味深いのは、
YouBikeのフレームに、GIANTのロゴが前面に出ていないことだ。
誇示していない。
だが、隠してもいない。
台湾では、
「GIANTが作っている」という事実は、ほぼ共有されている。
品質で分かってもらえればいい。
そう言っているかのような距離感だ。
YouBikeは、
単なるCSRではない。
「サイクリングアイランド台湾」という構想の、
ラストワンマイルだった。
街の隅々に自転車が行き渡ることで、
文化は初めて日常になる。
黒子のまま、前に出るという完成形
GIANTは今も、過剰に語らない。
創業神話を振りかざさない。
ブランドを押し付けない。
だが、
台北の街角。
台中の工場。
世界のサイクリングロード。
その多くが、この企業につながっている。
前に出ないことで、
全体を回す。
GIANTは、
台湾製造業が辿り着いた、
ひとつの完成形なのかもしれない。
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