―― 野山を駆け回らない、愛すべき隣人 ――

台湾の食堂に入ると、まず「猪」の字が目に入る。
壁の短冊にも、メニューの端にも、厨房のガラスにもある。
猪脚。
猪排。
猪血。
日本語の感覚で読むと、少し身構える。
今日はジビエなのか、と一瞬だけ考える。
だが出てくるのは、普通の豚だ。
角も牙もない。
丸い体つきで、皮膚は淡い色をしている。
違和感は味ではなく、文字から始まる。
猪という字の履歴
中国語では、猪は家畜のブタを指す。
台所にいる動物の字で、山の動物の字ではない。
日本に入ってきた時、この字は野生の方へ割り当てられた。
家畜には、肉を示す偏を付けた豚という字が当てられた。
台湾が特別にワイルドなのではない。
日本語の分類が、独自の方向へ進んだだけにも見える。
同じ漢字が、別の役割を背負わされた。
それが、食堂のメニューの上で露骨に現れる。
本物のイノシシは山にいる
では、台湾で野生のイノシシは何と呼ばれるのか。
答えは単純で、山猪だ。
山にいる猪。
字義どおりの名称になる。
これは街の食堂ではあまり見かけない。
原住民料理の店や、山の方の屋台で出会うことが多い。
肉は色が濃く、噛みごたえがある。
脂も白くはない。
日本語の「猪」という字に期待していたものは、こちらに近い。
街の猪は、あくまで家畜の猪だ。
黒猪とQの話
台湾のメニューには黒猪という表記もある。
黒い毛の豚で、高級とされる。
日本だと、黒豚の価値は脂の甘さや柔らかさで語られることが多い。
台湾では少し違う方向があるように見える。
歯ごたえ。
噛んだときの抵抗。
押し返してくる弾力。
台湾の食でよく聞くQという言葉が、ここでも出てくる。
柔らかすぎないこと。
噛むという動作が残ること。
猪という字が持つ「生き物感」は、
黒猪の価値基準と相性が良い。
運命を蹴り飛ばす猪脚
猪脚は、単なるタンパク源ではない。
台湾では、少し別の役割も持つ。
猪脚麺線という料理がある。
豚足と、細い麺線を合わせたものだ。
運が悪い時。
事故のあと。
そして閏月。
豚の蹄で不運を蹴り飛ばし、
長い麺で寿命を延ばす。
理屈として説明されることもあるが、
食堂でそれを食べている人の顔は、あまり大げさではない。
ただ、そういう場面に豚足が置かれている。
豚が人生の節目に関わっている。
それは記号のようでいて、
日常の延長でもある。
血の一滴まで日常になる
夜市で見かける猪血糕。
血のケーキと訳されることもある。
もち米に血を混ぜ、四角く固めたものだ。
香菜やピーナッツ粉をまぶして食べる。
内臓も血も、特別なものとして隔離されない。
市場には猪心、猪肝、猪腸が並ぶ。
捨てる部位という概念が薄い。
鳴き声以外はすべて食べる、という言い方が、誇張に聞こえない。
猪という字が自然に見えるのは、
こういう場面かもしれない。
肉ではなく、まだ生き物の延長として扱われている。

肉月が付かないまま
日本の豚という字には、肉の偏が付く。
食材としての視点が強い。
台湾の猪には、けものへんが残る。
生き物としての視点が残っている。
市場で吊るされた豚肉を見ると、
まだ体温の記憶が残っているように見えることがある。
猪という字は、
肉になる前の時間を引きずっている。
台湾の食堂で猪の字を見るたび、
こちらの頭の中だけが一瞬、山へ飛ぶ。
だが実際には、
目の前にあるのは隣の豚だ。
野山を駆け回らない、
生活のすぐ横にいる方の猪。
その距離感だけが、食後に少し残る。






