―― 何を足さず、何を残したのか ――
ヨーロッパにも、アジアにも、路面電車はある。
高雄LRTも、その延長線上にあると思っていた。
地上を走り、速度は控えめで、交差点で止まる。
特別なものではないはずだった。
それでも乗ってみると、
はっきりとは言えない違和感が残る。
悪い意味ではない。
むしろ逆だ。
邪魔をしていない。
視界の端に入っても、
街の流れを遮っている感じがしない。
なぜだろうと思って、
少し注意深く周りを見る。
空と足元が、切られていない
まず気づくのは、上だ。
LRTの上に、電線がない。
建物の輪郭から、そのまま空に抜けていく。
港の方向も、水辺も、
途中で線に遮られない。
次に目に入るのは、足元だ。
線路のすぐ横が、
緑地になっている区間が多い。
フェンスで強く区切られず、
舗装もされすぎていない。
路面電車なのに、
空も地面も、
どちらも硬くならない。
走っている途中、
駁二芸術特区のあたりで、視界が急にひらける。
倉庫群と港の水面が、そのまま窓の外に続く。
観光地を「通過している」というより、
風景の中をなぞっている感覚に近い。
ここでも、上には何もない。
空がそのまま残っている。
これは、楽な作り方ではない
ここでようやく、
「なぜこうなっているのか」を考える。
高雄LRTは、
上空に架線を張らない。
駅に停車するたび、
パンタグラフを上げて急速充電を行う。
蓄電には、スーパーキャパシタが使われている。
仕組みとしては、
むしろ面倒だ。
電線を張った方が、
簡単で、安くて、分かりやすい。
それでも、この方式が選ばれている。
理由は、
速さでも効率でもない。
空を切らず、街を硬くしないためだと思う。
交通を入れながら、
街の見え方を変えない。
そのために、
わざわざ手のかかる方法を選ぶ。
LRTがもたらしたもの
高雄LRTがもたらしたのは、
新しい移動手段だけではない。
- 空が分断されなかったこと
- 緑地が削られなかったこと
- 交通が前に出すぎなかったこと
これらは、
成果として語られにくい。
だが、
失われなかったものとして、
確かに残っている。
最初は、
「よくある路面電車」に見えた。
けれど走りながら、
空を見て、足元を見て、
ようやく違いに気づく。
高雄は、
これを残すために、
面倒な技術を選んだ。
LRTに乗りながら、
そんなことを考えていた。
■ 関連する記録
■ 全体像の記録
コメント