―― 黒いタレの海で、麺だけが生き残る ――

運ばれてきた丼には、スープがない。
あるのは、底に沈んだ少量の黒いタレと、湯気を上げる麺、そしてゴロリとした肉塊だけ。
牛肉乾拌麺(ニュウロウ ガンバンミェン)。
一般的な牛肉麺(湯麺)が「スープ料理」だとしたら、これは完全に「麺料理」だ。
見た目は地味で、少し損をした気分になるかもしれない。
だが、一口食べた瞬間、その認識は覆る。これは手抜きではない。凝縮に近い。
丼の中には、逃げ場がない。
スープがないぶん、麺とタレと肉が、最初から最後まで正面衝突する。
なぜスープを捨てたのか
このスタイルは、誰かが発明したというより、自然発生的に定着したものに見える。
何かを新しく作ったというより、環境に合わせて削ぎ落とした結果のようにも見える。
まず、牛肉麺のスープは、肉を煮込んだ煮汁(原液)を、出汁で割って作られる。
湯麺は、その「割った後」の完成形である。
汁なし麺は、割る前の一番濃厚な原液を、そのまま麺にかける。
希釈されない状態で口に入ってくる。
スープ麺より贅沢と言ってよいのかは分からないが、少なくとも濃度は高い。
もう一つ、外省人の記憶という説明もある。
中国北方には、炸醤麺(ジャージャー麺)のような混ぜ麺文化が根強い。
台湾の猛暑の中で、熱いスープを避けて濃厚なタレを楽しむスタイルは、気候的にも理にかなっていた。
乾拌麺は、料理としての「進化」というより、生活の中での適応に見える。
暑さ、腹具合、店の回転、客の好み。
そうした条件が重なったときに、自然に残る形がこれだったのかもしれない。
味の逃げ場がない
スープあり(湯麺)の場合、麺の味はスープに溶け出し、スープの味は麺に移る。
境界線は曖昧で、全体が一つの液体としてまとまっていく。
しかし汁なし(乾麺)には、逃げ場がない。
濃厚な牛脂、オイスターソース、豆板醤が煮詰まったタレが、麺の一本一本に直接まとわりつく。
希釈されない旨味。
そのインパクトは、湯麺とは別の種類の強さを持つ。
味が濃いというより、距離が近い。
スープを介さず、タレが直接、舌に触れる。
それが一口目から始まり、最後まで続く。
丼の底に沈んだ黒いタレは少なく見えるが、実際には十分だ。
麺の量に対して、必要な分だけが置かれている。
足りなければ混ざらない。多ければ重すぎる。
乾拌麺は、量のバランスが露骨に味へ出る料理でもある。
麺との直接対決
汁なしを選ぶ最大のメリットは、Q(弾力)の持続性にある。
熱いスープに浸かっていないため、麺が伸びにくい。
最初の一口から最後の一口まで、小麦のコシと抵抗感が続く。
湯麺のように、途中から麺がスープを吸って柔らかくなる展開が起きにくい。
だからこそ、汁なしには太麺(家常麺)や刀削麺がよく合う。
噛むほどに、麺が押し返してくる。
麺を食べているという感覚が、最後まで残る。
今日は徹底的に噛みたい。
そういう気分のとき、乾拌麺は合理的になる。
麺の太さは、好みの問題に見える。
だが、実際にはタレの濃度と直結している。
細麺だとタレが勝ちすぎることがある。
太麺だとタレが乗り、噛む時間も伸びる。
乾拌麺は、麺がタレの強さを受け止める構造になっている。
スープは「横」にある
汁なしを頼むと、損をする。
そう感じる人もいるかもしれない。
だが多くの店では、乾麺を頼むと牛肉清湯(具なしの牛骨スープ)が別の椀で付いてくる。
あるいはセルフサービスで飲み放題になっていることもある。
これにより、濃厚な麺と、あっさりしたスープを交互に往復する食べ方が可能になる。
丼の中で混ぜてしまうと消えてしまう味のコントラストを、別々に管理する。
麺をすすり、タレの重さを受ける。
次に清湯を飲み、舌を戻す。
また麺に戻る。
乾拌麺は、スープを捨てたのではなく、スープを横に退かせた、と言った方が近いのかもしれない。
湯麺が「一つの完成形」だとすれば、
乾拌麺は「二つの要素を分けて並べる」構造になる。
混ぜて一つにするのではなく、分けたまま交互に食べる。
その食べ方自体が、乾拌麺の流儀になっている。
台北の横綱:永康牛肉麺
台北で乾拌麺を語るとき、永康牛肉麺(Yongkang Beef Noodle)が出てくる。
観光地としても有名だが、汁なしのタレは、観光用というより、むしろ荒い。
ここの乾麺は、タレが凶暴なほど濃厚で、ニンニクが効いている。
黒いタレの中に、辛味と脂が沈んでいる。
麺を持ち上げると、タレが糸のように絡みつく。
常連は汁なし麺の横に、粉蒸肥腸(豚ホルモンの蒸し物)を置くことがある。
濃厚なタレの麺をすすり、ピリ辛のホルモンを食べ、最後に清湯で流し込む。
麺、脂、内臓、スープ。
重いものが重いまま並び、最後に清湯がそれを切る。
この三角形が、永康の乾麺を成立させている。
永康の店内には、麺を啜る音が多い。
スープを飲む音ではなく、麺を引き上げる音が目立つ。
乾拌麺は、食べ方の音まで変える。
高雄の古豪:港園牛肉麵
南部・高雄に行けば、港園牛肉麵(Gang Yuan Beef Noodle)がいる。
ここにも牛肉拌麺がある。
ただし、永康とはベクトルが違う。
スパイシーさよりも、豬油(ラード)と甘い醤油ダレの香ばしさが前面に出る。
むっちりとした白い太麺に、茶色いラードダレが絡む。
見た目は地味だが、香りは強い。
油の甘さと醤油の焦げが、湯気の中に残る。
にんにくは、卓上の刻みニンニクを自分で足して完成させる。
この「最後は客が仕上げる」感じが、高雄の食堂らしく見えることがある。
港園の乾麺は、攻撃的というより、生活の味に近い。
辛味で殴るのではなく、油と醤油で包む。
同じ乾拌麺でも、都市が違うと、濃度の方向が変わる。
原始的な喜び
スープという癒やしを捨て、タレと麺という刺激だけを残す。
それは、小麦粉と肉を喰らうという、最も原始的な喜びに近い。
汗をかきたくない夏の日。
あるいは、味覚をガツンと殴られたい日。
そういう条件のとき、乾拌麺は選択肢になる。
乾拌(ガンバン)と紙に書く。
それは、牛肉麺のもう一つの顔に触れるための合図になる。
スープのある牛肉麺が、街の煮込みのインフラだとすれば、
スープを捨てた牛肉麺は、そのインフラの核だけを取り出したものに見える。
黒いタレの海は浅い。
だが、そこには濃度だけが残る。






