―― 略奪でも備蓄でもない、「第3の兵站」としての発明 ――
屋台の鉄板から甘いタレの匂いが立ち上がる。
夜市の喧騒の中で、皿の上の蚵仔煎はいつも通り、ゆっくりと揺れている。
口に運ぶ前、ふと頭に浮かぶ。
「そういえば、蚵仔煎って軍隊発祥という話があったな」と。
もちろん、真偽はさておき――。
もし本当に戦場で役立った料理なら、どれほどミリ飯として優秀だったのだろうか。
そう思った瞬間、料理の背後にある兵站(ロジスティクス)が気になり始めた。
蚵仔煎を食べながら、その構造を解剖してみる。
兵站のジレンマ:食料は必ず尽きる
軍事史において、食料調達は長く二択しかなかった。
● パターン①:略奪(現地徴発)
土地の民から奪う方式。
ナポレオン軍が象徴的だ。
欠点:
奪い尽くせば終わり。
焦土作戦に弱く、戦線が伸びるほど不安定になる。
● パターン②:携行(備蓄・保存食)
堅パン、乾燥肉、缶詰などを運ぶ方式。
欠点:
重い。
輸送路が切れれば餓死する。
どちらも 「消費すれば減るという宿命」 から逃れられない。
兵站とは、結局のところ有限の在庫をどう減らさずに運ぶかの技術だった。
1661年、鄭成功が台南のゼーランディア城を包囲したとき、
彼の軍はまさにこの袋小路に追い込まれていた。
補給は断たれ、略奪する相手もいない。
ふつうなら詰みである。
第3のパターン:環境ハッキング(現地生産)
しかし、鄭成功はもうひとつの手段を考案した。
それは、
「環境そのものを食料生産装置として使う」という発想だった。
台南沿岸の台江内海は、
干潟が育てる天然牡蠣の宝庫だった。
人工養殖ではなく、海が勝手に増やし続ける再生可能資源である。
加えて台湾のサツマイモ文化。
痩せた土地でも育ち、災害にも強い。
粉にしておけば、少しの水で爆発的にかさ増しできる。
牡蠣
+
地瓜粉
この組み合わせに火を通せば、
無限に近い形でカロリーを再生産できる。
これは略奪でも備蓄でもない。
「第3の兵站=循環型兵站(Circular Logistics)」である。
蚵仔煎という名の“永久機関”
略奪は敵意を生む。
備蓄は重く、減り続ける。
だが蚵仔煎方式は、減らない。
海へ行けば牡蠣がある。
粉と水があれば膨らむ。
鉄板があれば調理できる。
オランダ軍は「城内の備蓄(有限資源)」に怯えていたのに、
鄭成功軍は「目の前の海(循環資源)」を味方につけていた。
この“兵站モデルの違い”は、
戦史の表面には書かれないが、勝敗を左右した可能性が高い。
蚵仔煎は、ある意味で
「17世紀の現地生産型ミリメシの完成形」と言える。
ゼーランディア城は1年間の包囲の末、落城した。
ミリ飯としてのスペック
夜市での存在感からは想像がつかないが、
栄養パッケージとしての完成度も高い。
・サツマイモ粉 → 長時間の腹持ち
・牡蠣 → タンパク質+ミネラル
・卵 → 即効性の栄養
・甘いタレ → 血糖値を一気に上げるブースター
・調理が早い
・火と水があれば作れる
兵士が動くための燃料としては、
むしろ理にかなっている。
あの粘り気は、美食のためではなく、
本来は「効率よく兵士を動かすための構造」だったのだと思うと見え方が変わる。
夜市に残る兵站の影
となりのテーブルにも蚵仔煎が届く。
香ばしい匂いと湯気がゆっくり広がる。
その一皿の裏側には、
略奪でも、備蓄でもない。
「環境そのものを兵站に変える」という発明が隠れている。
蚵仔煎とは、
台湾の干潟と、17世紀の戦争と、サバイバル技術が混ざり合った歴史の断片なんだろう。
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