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台湾の豆乳文化|全体像

台湾の朝食屋に入ると、
必ずと言っていいほど、豆乳が湯気を立てている。

豆乳は、台湾の朝において特別な位置を占めている。
それは「飲み物」であり、同時に「スープ」でもある。

カップで出てくることもあれば、
丼の中で具材を受け止めていることもある。
甘くもなり、酸っぱくもなり、時には紅茶と混ざる。

豆乳は、単体の料理というより、
台湾の朝食というシステムの中を流れる媒体に近い。

血液のように、
それ自体が主張することは少ないが、
止まると朝が成立しなくなる。


豆乳の「飲み方」のバリエーション

台湾で豆乳をどう扱うかは、
味の好みというより、用途の選択に近い。

同じ豆乳でも、
「食べる」「飲む」「混ざる」で、
役割がはっきり分かれている。

食べる豆乳:鹹豆漿

酢で固められた、スープ状の豆乳。
油條や干しエビ、ザーサイを受け止める。

位置づけとしては、
朝の味噌汁に近い。

主食を支える脇役であり、
同時に、それ自体で一食を成立させる器でもある。


飲む豆乳:甜豆漿・冰豆漿

甘い豆乳は、
より直接的に「飲み物」に近づく。

温かいものと、冷たいもの。
焦げ臭が強い店と、あっさりした店。

違いはあるが、
役割は明確だ。

ゴクゴク飲める。
朝の身体を、静かに起動させる。


混ざる豆乳:紅茶豆漿

豆乳に紅茶を混ぜる。
台湾独自の組み合わせだ。

甘さは控えめで、
飲み口は意外と軽い。

豆乳を「完成品」にしない文化。
既存のものを混ぜ、
別の用途を与える感覚が、ここにも現れている。


豆乳の歴史:戦後と永和

豆乳が台湾の朝に定着した背景には、
戦後の人口移動がある。

中国大陸から渡ってきた外省人たちは、
小麦と豆乳を中心とした朝食文化を持ち込んだ。
その一つの拠点が、台北南部の永和だった。

永和という地名は、
やがて店名ではなく、
朝食の形式そのものを指す言葉になる。

永和豆漿。
それは味ではなく、
営業時間や品揃え、提供の速さまで含んだ
再現可能なフォーマットだった。

豆乳は、その中心に置かれていた。


豆乳の「相棒」

豆乳は、液体だけでは完結しない。
必ず、固形物を伴う。

焼餅、油條、飯糰。
どれも単体では乾いている。

豆乳は、それらを流し込み、
一つの食事にまとめる役割を担う。

噛むものと、流すもの。
台湾の朝食は、
この組み合わせで成立している。


豆乳が飲める朝食屋

豆乳は、特別な店に行かなくても飲める。
むしろ、街のあちこちに散らばっている。

朝の時間帯に、
シャッターが半分開いた店。
蒸気が外に漏れている場所。

そういうところに、
だいたい豆乳がある。

以下は、
これまで記録してきた「豆乳がある朝食屋」の一部だ。
評価ではなく、所在のメモとして並べている。

台北

  • 永和豆漿(永和)
     24時間営業。永和豆漿という形式の原型に近い店。
     👉 記録:[リンク]
  • 阜杭豆漿(善導寺)
     市場建物の上階。行列ができやすい時間帯もある。
     👉 記録:[リンク]
  • 〇〇豆漿(〇〇)
     住宅街にある小規模店。早朝のみ営業。
     👉 記録:[リンク]

高雄

  • 興隆居(前金)
     朝のピークが短い。回転が速い。
     👉 記録:[リンク]
  • 〇〇早點(〇〇)
     豆乳と飯糰が同時に出てくる店。
     👉 記録:[リンク]

台中

  • 〇〇豆漿(〇〇)
     甘い豆乳が中心。油條は控えめ。
     👉 記録:[リンク]

(※ 店数は今後、記録が増え次第、静かに追加していく)

豆乳のある朝

豆乳は、台湾の朝を説明するための主役ではない。
むしろ、
朝が今日も無事に始まっていることを
確認するための目印に近い。

■ 台湾の朝食屋(全体像)


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