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台湾・小籠包の歴史についての記録

小籠包は、観光ガイドの中であまりにも頻繁に登場する。
台北の有名店、海外の支店、百貨店のフードコート、空港のレストラン。
どこにでもあるが、だからこそ、輪郭が少しぼやけてしまった料理でもある。

皮の薄さや、肉汁の量、店ごとの違いは語られ続けている。
しかし、それがどこから来て、どんな時間の中で残ったのかについては、
意外と立ち止まられることが少ない。

蒸気の中で消えていく湯気よりも、
その下にある時間のほうが、ゆっくり残っているように見える。


南翔から台北へ

小籠包の源流は、中国・上海近郊の南翔とされている。
蒸した饅頭の中に肉汁を閉じ込める技術は、
「湯包」と呼ばれる料理の発展形のひとつとして生まれた。

戦後、多くの人が中国本土から台湾へ渡った。
その流れの中で、北方の点心文化も一緒に持ち込まれた。
台北の路地裏や、移民たちの集まる商業エリアで、
小籠包という形式は、少しずつ形を変えながら根づいていった。

最初から“高級点心”だったわけではない。
仕事の合間や帰り道に、さっと食べる軽食に近い存在だったとも言われる。

蒸籠の中で数分。
その手軽さが、街のリズムと噛み合ったのかもしれない。


小籠湯包という呼び方

台湾では、伝統的には「小籠湯包」という呼び方も使われてきた。
肉汁を“湯”として意識する感覚が、そのまま残っている。

一方で、「小籠包」という言葉が広く定着したのは、
ある店の存在と無関係ではないとも言われている。

鼎泰豊の登場以降、
小籠包は“料理名”というより、“体験の名前”に近づいていった。
ただ、日常会話では今でも、小籠包で十分に通じる。
呼び方に過度な意味を持たせる必要はなさそうだ。

言葉もまた、料理と同じように、
都市の動きの中で自然にかたちを変えていく。


庶民の点心から、都市の象徴へ

もともと小籠包は、
屋台や食堂で湯気を立てながら食べる、日常の点心だった。

だが、1980年代以降、
その位置は少しずつ変わっていく。

鼎泰豊をはじめとした店舗によって、
小籠包は技術の結晶として提示されるようになる。

厨房はガラス越しに可視化され、
職人の手さばきは技術として見せられ、
蒸籠一つにも完成度が求められるようになった。

小籠包は、料理であると同時に、
台湾の顔のような存在になった。

百貨店や高級商業施設に入り、
海外に出ていき、
外国人観光客の入口にもなった。

庶民の点心が、高級な料理へと移動したというより、
都市の中で「二つの場所を持つ料理」になった、
そんなふうにも見える。

路地裏では今も、安価で黙々と蒸し続けられている。
ガラス張りの店舗では、整然と並べられている。

どちらも同じ小籠包だが、
流れている時間は明らかに違う。


蒸籠に残るもの

小籠包には、
戦後の移動、
都市化、
観光産業の成長、
それぞれの痕跡が重なっている。

一つの料理に、
これほど多くの時間が重なることは、
それほど多くない。

蒸気はすぐに消える。
皮も、中のスープも、一瞬でなくなる。

それでも、
あの小さな籠の中には、
移動、混在、再構築された時間が、
うっすらと染み込んでいる。

蒸籠が重ねられていくように、
台北の街の時間も、層になって積み上がっていく。

小籠包は、その断面のひとつにすぎない。
ただ、そこに触れることで、
都市の奥行きが少しだけ見えやすくなる。

† 小籠包の記録を続けて読む

・小籠包の高級化
https://eatinthecorner.com/taiwan/xiaolongbao-luxuryization-taiwan/

・小籠包の国際化
https://eatinthecorner.com/taiwan/xiaolongbao-globalization-taiwan/

・小籠包のエンタメ化
https://eatinthecorner.com/taiwan/xiaolongbao-taptapization-taiwan/


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