―― 海が陸になり、港が街になった場所 ――
台南の街を歩くと、不思議な感覚にとらわれる。
古いものがそのまま残っているようでいて、しかし地図を見ると、街の輪郭は妙に海から遠い。
静かな路地、赤レンガの廟、乾いた風。
ここは確かに「古都」なのに、海と切り離されたようなこの距離感は何なのだろう。
その違和感の答えは、地形にある。
台南はかつて、巨大なラグーン(潟湖)に浮かぶ都市だった。
かつてここは「海」だった
衝撃の事実だが、現在の台南市中心部――赤崁楼のあたり――は、
17世紀には海岸線だった。
その西側、今の安平区一帯はすべて「台江内海」と呼ばれる巨大なラグーン。
潮と川が混ざり合う広い内海で、船が自由に行き交っていた。
さらに沖合には、
「鯤鯓(クンシェン)」と呼ばれる7本の砂州が帯状に並んでいた。
伝説の大魚・鯤(くじら)にちなむその名のとおり、巨大な砂の背骨が海を遮り、
高波を防ぐ天然の防波堤になっていた。
オランダ人が築いたゼーランディア城(安平古堡)は、
まさにこの砂州(鯤鯓)の上に建てられている。
二つの城と、海を渡る連絡船
当時の台南は「陸地と海の二層構造」だった。
・ゼーランディア城(安平)=貿易の拠点(砂州の上)
・プロビンシア城(赤崁楼)=行政の拠点(本土側の海岸線)
この二つの城の間は海であり、
人々は連絡船で往来していた。
いま我々が民権路を歩いて直接この二地点を行き来できるのは、
かつての海底を歩いているからだ。
現在の陸地は、すべて後から現れたものである。
川が埋め尽くした繁栄
では、そのラグーンはどこへ消えたのか。
犯人は、台南を流れる大河・曾文渓である。
中央山脈の崩れやすい地質が洪水のたびに大量の土砂を西へと運び、
ラグーンは数百年をかけて、ゆっくりと、しかし確実に埋まっていった。
港は浅くなり、船は寄れなくなり、
台南は「港町」としての役割を失っていく。
その一方、肥沃な沖積平野が現れ、
農業地帯としての台南が誕生した。
高雄が台湾最大の港として進化したのに対し、
台南は港でいることを維持できなかった都市なのだ。
ラグーンの遺産
海は消えても、その痕跡は食卓に残った。
サバヒー(虱目魚)
浅瀬を好む魚で、台江内海が干上がる過程で形成された魚塭(養殖池)に定着した。
朝のサバヒー粥は、消えた内海の名残そのものである。
カキ(蚵仔)
安平の名物・蚵仔煎(カキオムレツ)は、遠浅の海と干潟が育てた食材だ。
甘い料理
オランダ人が台南を砂糖貿易の基地とし、サトウキビ栽培を本格化させた。
台南料理の甘さは、ここが砂糖産業の中心であった歴史の反映だ。
台南の味は、海の記憶が凝縮された地形の味でもある。
街に残る古都の地層
京都が変わらぬ盆地で時間を積み重ねたのに対し、
台南は海が陸になるという劇的な地形変化の上にできた街だ。
港町として栄え、やがて港を失い、
そのかわりに街の時間がゆっくりと保存された。
赤崁楼の上で夕日を見るとき、想像してみてほしい。
かつて目の前は海で、
オランダ船が帆をあげ、ラグーンを横切っていたことを。



