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台湾の弁当文化について考えてみる

―― なぜ「ビニール袋」ではなく「箱」なのか ――

「台所」は家の外にある

日本では、いまでもどこかで
「ちゃんとした食事=自炊」
「外で買ってくるもの=間に合わせ」
という感覚が残っている。

だが、アジアの都市を歩いていると、その前提は簡単に崩れる。

台湾でも、タイでも、ベトナムでも、
朝・昼・晩を外で調達することは特別なことではない。
むしろ、家で作らないほうが合理的な場合すら多い。

街のあちこちに食べ物があり、
必要な分だけ、必要なタイミングで買う。

都市そのものが、巨大な共同の台所として機能している。

ここまでは、台湾も他の東南アジア諸国とよく似ている。
だが、「持ち帰り方」に目を向けると、決定的な違いがある。


なぜ台湾だけが「箱」なのか

タイの屋台では、カレーやスープをビニール袋に入れて渡される。
袋の口を輪ゴムで縛り、空気を含ませて、ぶら下げる。

ベトナムでは、発泡スチロールの容器や、紙で包んだサンドイッチ。
いずれも軽く、安く、使い捨てやすい。

一方、台湾の弁当は、ほぼ例外なく「箱」だ。
紙や木でできた、かっちりとした四角い箱。

同じ外食文化圏にありながら、
なぜ台湾だけが、ここまで「箱」という形にこだわったのか。

その理由は、文化や美意識というより、
もっと身体的で、実用的なところにあるように見える。


箸で「持つ」文化

まず、道具が違う。

タイでは、スプーンとフォークを両手に持つ。
食器はテーブルに置いたまま、すくって食べる。

この動作に適しているのは、
深さがあり、口が広く、安定して置ける容器だ。
ビニール袋や発泡スチロールは、理にかなっている。

台湾は、箸の国だ。

片手で器を持ち上げ、
もう片方の手で箸を動かし、ご飯を口に運ぶ。

器を「持つ」ためには、
手に収まる大きさと、フニャフニャしない剛性が必要になる。

台湾の弁当箱は四角いが、
役割としては、皿というより「茶碗」に近い。

箱であること自体が、食べ方と直結している。


スープではなく、脂を運ぶ料理

料理の性質も違う。

タイやベトナムでは、
主役はサラサラしたスープだ。
漏れないこと、密閉できることが最優先になる。

台湾弁当の主役は、排骨や雞腿、焢肉といった肉料理。
水分は少なく、代わりにあるのは
とろみのあるタレと、肉の脂だ。

紙や木の箱は、
余分な油を吸い取り、
白飯との馴染みを良くしてくれる。

さらに、完全密閉しないことで、
熱々の揚げ物を入れても蒸れにくく、
衣がベチャっとするのを防いでくれる。

箱の素材そのものが、
料理の一部として機能している。


仕切るという記憶

もうひとつ、歴史の層もある。

台湾の弁当には、
主菜と副菜を分けて詰める、という感覚が残っている。

すべてをご飯にかけてしまう「ぶっかけ」ではなく、
配置し、整理し、並べる。

これは、日本から伝わった幕の内弁当の形式と、
どこかで重なっている。

ただし、日本の駅弁が
「冷めても美味しい」ことを前提に進化したのに対し、
台湾では「熱い食事」であることが譲れなかった。

箱という構造を借りながら、
素材を紙や木に変え、
中身は熱々の中華料理を詰める。

その結果として生まれたのが、
いまの台湾の茶色い弁当箱だ。

必然のかたち

台湾の弁当が「箱」である理由は、
ひとつではない。

箸で持ち上げて食べるから、硬さが必要だった。
脂の多い料理が中心だから、吸湿する素材が向いていた。
おかずを整理して並べる文化があったから、四角が選ばれた。

台湾の弁当箱は、
単なる容器ではない。

食べ方、味覚、動作、そして記憶。
それらが長い時間をかけて削り出した、
きわめて実用的な生活の道具だ。


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