―― 濁水渓を越えない魯肉飯の巨人 ――
台北で生活していると、黄色い看板はほとんど背景の一部になる。
口髭をたくわえた人物のロゴ。
髭須張魯肉飯(ひげ張)。
通勤途中にも、買い物の帰りにも、特別な意識をしなくても視界に入る。
それは「探して行く店」というより、「そこにあるもの」に近い。
だが、新幹線で南へ向かうと、その風景はある地点で途切れる。
台中を過ぎたあたりから、あの看板が見当たらなくなる。
現在、ひげ張の店舗展開は台中が最南端とされている。
高雄や台南といった台湾南部の大都市には、出店していない。
人口規模も、消費力も十分にある地域だ。
市場がないとは考えにくい。
それでも、巨人は南へ進まない。
その理由を考えるとき、台湾では一つの川の名前が必ず浮かぶ。
髭のロゴが示すもの
髭須張(ひげ張)という店がある。
魯肉飯の全国チェーンだ。
創業は1960年。屋台から始まったこの店は、
今や台湾の食文化を定義する「基準点」となっている。
店内は明るく、床は清潔に保たれている。
冷房が効き、制服を着たスタッフが動く。
屋台に由来する料理でありながら、
提供される環境は均質で、どこか企業的だ。
多くの人にとって、この店は
「外れの少ない食事」を意味する場所になっている。
魯肉飯という民間の料理に、
安定した輪郭を与えた存在と言えるのかもしれない。
だが興味深いのは、
この店の影響が店舗の内部に留まっていない点だ。
魯肉飯という台湾の日常
台湾の国民食、魯肉飯(ルーローハン)。
細かく刻んだ豚肉を、醤油を基調とした甘辛いタレで煮込み、
白いご飯の上にかける。
構成は単純だが、店ごとの差は小さくない。
脂身の比率、甘みの強さ、八角の気配。
それぞれがわずかに異なる。
それでも、多くの人が同じ料理を思い浮かべることができる。
丼は小ぶりで、価格は控えめ。
単品で終える者もいれば、
青菜やスープを添えて一食に整える者もいる。
台湾において魯肉飯は、
特別な料理というより、日常を示すものだ。

味の境界線としての濁水渓
台湾の食文化を語るとき、しばしば引かれる一本の線がある。
中部を横切る濁水渓である。
この川を境に、味の傾向が変わると言われてきた。
「北鹹南甜」。
北は塩味が強く、南は甘い。
醤油の選び方、砂糖の使い方、煮込みの方向性。
同じ料理名でも、濁水渓を越えると別物になることが珍しくない。
ひげ張の主力である魯肉飯(ルーローハン)は、典型的な北部の設計を持つ。
塩味を軸に、脂のコクで押す構成である。
この味が、砂糖を前提とする南部の食卓にそのまま置かれたとき、
「少し塩辛い」と受け取られる可能性は常にあった。
味覚の違いは、好みの問題であると同時に、文化の記憶でもある。
そして、その記憶は意外なほど強固だ。
「魯肉飯」という言葉のずれ
味以上にややこしいのが、料理名そのもののねじれだ。
北部で魯肉飯といえば、
豚肉を細かく刻み、醤油で煮込んだものをご飯にかけた料理を指す。
ひげ張の魯肉飯も、この系譜にある。
一方、南部では事情が違う。
角煮のような塊肉が乗ったものを魯肉飯と呼び、
刻み肉のものは肉燥飯(ロウザオファン)と呼ばれることが多い。
もし、ひげ張が高雄にそのまま進出したとする。
看板には「魯肉飯」と書かれ、客は角煮を想像する。
出てくるのは刻み肉だ。
その瞬間に生じる違和感は、味以前の問題になる。
期待と実物のずれは、強い反発を生む。
これを回避するには、名称を肉燥飯に変更する必要がある。
だがそれは、「魯肉飯のひげ張」というブランドの自己否定に近い。
名前を守るか、市場に合わせるか。
その選択は、簡単ではない。

あえて変えないという判断
技術的な話をすれば、解決策は存在する。
南部向けに砂糖を増やし、味を調整する。
看板の表記を変え、説明を添える。
グローバルチェーンが各国で行っているローカライズと同じだ。
ひげ張ほどの規模と技術があれば、それは十分可能だったはずである。
それでも、彼らはそれを選ばなかった。
理由の一つとして考えられるのが、標準化との相性だ。
ひげ張は、ISOを含む厳格な数値管理によって味を維持してきた。
地域ごとにレシピを変えれば、
原材料の管理、製造ライン、品質検査が複雑になる。
それは、彼らの最大の強みを削る行為でもある。
もう一つは、資源配分の問題だ。
台北・新北・桃園・台中という北部経済圏だけでも、市場は十分に大きい。
そこで密度を高め、支配力を強める方が、
経営としては合理的に見える。
勝てる場所で、確実に勝つ。
そうした判断が透けて見える。
店舗を出さずに届く方法
興味深いのは、南部に何も送っていないわけではない点だ。
高雄や台南のスーパーマーケット、
全聯福利中心の冷凍コーナーには、ひげ張の商品が並んでいる。
店舗は出さない。
だが、商品は送る。
これは、陸軍を派遣せず、空軍だけを飛ばすようなやり方に近い。
日常の食堂として根を張る必要はない。
「台北の味」として、指名買いされれば十分だ。
南部の食文化と正面衝突することなく、
必要な人にだけ届く。
そうした距離感が、意図的に保たれているようにも見える。

鼎泰豊(ディンタイフォン)が越えられた理由
同じ台北発祥でも、鼎泰豊(ディンタイフォン)は事情が異なる。
小籠包の店として、高雄や台南にも大規模な店舗を構えている。
なぜ、彼らは濁水渓を越えられたのか。
一つの理由は、料理の出自にある。
小籠包は戦後に持ち込まれた外来の料理だ。
南部の人々にとって、「実家の味」や「守るべき定義」が存在しない。
だから、「台北の有名店」という評価がそのまま価値になる。
一方、魯肉飯は土着の料理だ。
誰もが、自分なりの基準を持っている。
その基準は、しばしば譲られない。
ひげ張が南下しない理由は、
企業としての弱さではなく、
扱っている料理があまりにも台湾人に近すぎたからかもしれない。

川が示す限界と選択
企業は成長を求められる。
だが、どこまで進むかは選ぶことができる。
濁水渓を越えないという判断は、
恐れというより、整理の結果のように見える。
味の標準。
名称の意味。
管理の仕組み。
それらを守るために、
越えない線を決めた。
黄色い看板が南部にないことは、
欠落ではなく、輪郭の一部なのかもしれない。
川は、進出を阻む壁であると同時に、
自分たちの立ち位置を明確にする境界線でもある。
ひげ張は、その線を越えないまま、
十分に大きくなった巨人の一例として、
台湾の食風景に立ち続けている。





