―― 背景にある3つの仮説 ――
台湾は冬でもそんなに寒くはならない。
それでも、夜になると火鍋屋の前に人が溜まる。
蒸気の向こうで、赤いスープがぐつぐつと煮え、
扉が開くたびに、唐辛子と牛脂の匂いが外へ漏れる。
「ああ、今日も火鍋か」
そう思いながら、結局こちらも引き寄せられる。
台湾では、火鍋は特別な料理ではない。
祝祭でも、観光用でもない。
疲れた日、寒い日、理由のない夜に、
ごく自然に選ばれる選択肢だ。
小籠包でも、牛肉麺でもなく、
なぜここまで火鍋なのか。
仮説① 体を温めたい
まず思い浮かぶのは、身体の調整だ。
台湾は温暖だが、冷房が強い。
MRT、オフィス、百貨店、どこに入っても冷える。
外は蒸し暑く、内は冷え切っている。
そんな環境では、
「とりあえず温かいものを胃に入れたい」という欲求が生まれやすい。
火鍋は、その要求に過剰なほど応える。
スープは常に沸き、
湯気が立ち、
食べ終わる頃には身体が内側から温まっている。
滋養強壮とか漢方的な理屈以前に、
単純に“調子が戻る”感じがある。
これはかなり大きい。
仮説② コスパが良い
次に見えてくるのが、コストパフォーマンスの話だ。
火鍋屋は、よく考えると不思議な商売をしている。
肉や野菜を切り、並べ、スープを用意する。
それ以上の調理は、ほとんど客任せだ。
炒めない。
揚げない。
盛り付けに凝らない。
店側にとっては、
人件費と技術コストを極限まで抑えられる料理でもある。
一方、客側の満足度は高い。
肉も野菜も好きなだけ。
鍋だけでなく、
アイス、ドリンク、ソフトクリーム、時にはフルーツまで食べ放題。
「ちゃんと食べた」という感覚が、確実に残る。
支払った金額以上に、
得した気分が積み上がる構造になっている。
火鍋は、店と客の利害が珍しく噛み合った料理だ。
仮説③ わいわい騒ぎたい
もう一つ、昔から言われてきた理由がある。
火鍋は、
鍋を囲み、
取り分け、
待ち時間をごまかしながら話す料理だ。
誕生日。
会社の飲み会。
友人同士の集まり。
火鍋は「場」を成立させる装置として、非常に優秀だった。
ただ、この要素は少しずつ薄れてきている気がする。
個食化する火鍋
最近は、
一人用の火鍋屋が増えた。
カウンター席。
仕切り。
自分専用の鍋。
誰とも話さなくていい。
スマホを見ながら、黙々と煮る。
ここには、
「わいわい」はない。
それでも店は流行っている。
つまり、③の理由は少し弱くなっている。
体と財布に残るもの
こうして見ると、
台湾人の火鍋好きの芯に残っているのは、
①体を温めたい
②コスパが良い
この二つなのだと思う。
寒いから、ではなく、
冷えを打ち消したいから。
高級だから、ではなく、
満足度が高いから。
騒がなくてもいい。
一人でもいい。
それでも火鍋は成立する。
たぶん台湾人にとって火鍋は、
イベント料理ではなく、
身体に染みついた生活食なのだ。
鍋が沸き、
具材を落とし、
湯気を吸い込む。
その一連の動作が、
今日もまた「まあ大丈夫だ」と思わせてくれる。
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