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僕らが台湾で食べる理由

台湾で食事をするとき、日本にいるときとは違う場所にいるはずなのに、
なぜか“異国”という言葉がしっくりこない瞬間がある。
夜市の喧噪でも、朝食店の温い豆漿でも、
店の奥から漂ってくる油の匂いさえ、どこか馴染んでしまう。

台湾の料理は決して日本の料理と同じではない。
使う油も違えば、調味料の響きも異なる。
それでも、日本人が「おいしい」と自然に思えてしまう理由を、
この島を歩きながら考えることがある。

さしすせそ と 出汁 の骨格

日本の味を支えているのは、塩・砂糖・酢・醤油・味噌、
いわゆる“さしすせそ”の組み合わせだ。
甘さと塩気の間に、微妙な余白を作ることで輪郭が整う。

台湾には台湾の調味料がある。
沙茶醤、甜辣醬、老抽のような濃い醤油。
それでも、基礎の部分では日本と重なるところが多い。
出汁文化も全く別物ではなく、鰹節や煮干しを使う地域もある。
味に層を重ねるという発想は、それほど遠くない。

日本人が台湾の食事にすぐ馴染むのは、
この味の骨格の近さに気づかないまま寄り添っているからなのかもしれない。

UIが似ているという安心感

味の話だけではない。
食事という行為そのもののUI(インターフェース)が近い。

茶碗に近い小さい器。
箸とレンゲを組み合わせて食べる動作。
丼物のように一つの器に世界が収まる感じ。
日本人が迷わず受け入れられる操作体系が、台湾には最初から揃っている。

東南アジアの料理はおいしいが、
フォークとスプーンの組み合わせや、大皿の共有にとまどうことがある。
台湾ではその手順の違いがほとんど生まれない。
手が覚えている動きを、そのまま続けられる安心感がある。

外国料理ではなく、お隣さん家のごはん

台湾の食べ物を前にすると、
「外国料理」というよりは、「隣の家のごはん」に近いと感じる。
派手さよりも、どこか懐かしさが先に来る。

牛肉麺の湯気の向こうに、味噌汁の湯気が重なることがある。
排骨の衣の香りが、夕飯の揚げ物を思い出させることもある。
豆漿の甘さに、どこか古いお菓子の記憶がかすかに触れる。

似ているわけではない。
ただ、遠くない。

そこに僕らは自然に座って、何も考えずに食べ始める。

僕らが台湾で食べる理由は、特別なものじゃない

観光だからおいしいと感じるわけでもないし、
珍しさを求めているわけでもない。
旅の高揚感が味を補正しているわけでもない。

僕らが台湾で食べる理由は、
「知らないもの」が出てくるワクワクではなく、
「知っている形の中に、知らない味がひっそり混ざっている」
という、あの微妙な距離感にあるのだと思う。

初めて出会う料理なのに、まるで昔からあったように感じる。
そんな曖昧な感覚が、旅を形づくっていく。

食べ終わった器を片付けて外に出ると、
蒸気の残る朝の空気が少しだけ軽く感じられた。

台湾っていいよね。


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