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高雄・塩埕区の歴史についての記録

塩埕区という地名は、
もともと塩を干す土地だったことを示している。

湿地に近い低地で、
長いあいだ、都市の中心とは無縁の場所だった。

高雄港が拡張され、
埋立地の哈瑪星が手狭になると、
商業の重心が少しずつ西へ流れ込んでくる。

1960年代から70年代。
この一帯は、高雄で最も金が動く場所になった。

塩が金に変わる。
街全体が、そんな転換を経験した。


金が集まった通りの名残

新楽街を歩くと、
同じ種類の店がやけに多いことに気づく。

銀楼。
貴金属店だ。

ショーケースの中には、
分厚い金の指輪や、重たそうなネックレス。

港湾労働者や商人、
そして当時の外貨を落とした人々が、
稼いだ金を形に変えた場所だった。

今は人通りも落ち着き、
店の奥で店主が新聞を読んでいる。

それでも、
ガラス越しの黄金だけは、
時間の流れを拒むように残っている。


角丸の建物が並ぶ理由

この街では、
建物の角がやけに柔らかい。

直角ではなく、
ゆるく丸められたバルコニー。

幾何学模様の窓枠。
洗石子の外壁。

戦後復興期から高度成長期にかけて建てられた、
流線型モダンの建築が、
街ごと残っている。

空きビルになった建物も多い。
それでも骨格は崩れていない。

役目を終えたあとも、
街の品格だけは、静かに立ち続けている。


賊仔市という影

大通りを一本外れると、
天井の低いアーケードが現れる。

通称、賊仔市(どろぼう市)。
かつての闇市だ。

港から流れてきた品。
正規ルートではない商品。

いまは衣料品や日用品を売る、
静かな市場になっている。

だが、
頭上を走る配線の密度や、
すれ違うのがやっとの通路幅に、
この場所が背負ってきた時間が滲んでいる。


再生の震源地

近年、
この街に若い人が戻り始めている。

象徴的なのが、
塩埕第一公有市場だ。

昼は昔ながらの肉屋や製麺所。
夜になると、クラフトビールやスイーツの店が開く。

すべてを壊して作り直すのではない。
古い形を残したまま、
別の使い方を重ねていく。

皺を消さずに、
そのまま生かすような再生だ。


大人の散歩道として

東側の新しい商業エリアが、
LEDの光だとしたら。

塩埕区は、
ネオン管の光に近い。

強くはないが、
消えそうで、消えない。

路地の喫茶店。
老舗の鴨肉麺。

ここでは、
時間が少しだけ、
緩やかに流れている。


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