── 熱くてしょっぱいものと、冷たくて甘いもの ――
朝の豆漿店には、
いつも2種類の湯気が立っている。
ひとつは、白く重たい湯気。
もうひとつは、ガラス越しに冷たく揺れている液体。
同じ「豆乳」なのに、
その並び方は、まるで別の飲み物のようだ。
熱くて、しょっぱい豆乳。
冷たくて、甘い豆乳。
台湾の朝では、この矛盾が、
あまりにも自然に共存している。
少し、その理由を考えてみる。
鹹豆漿は「飲み物」ではなく「汁物」だった
鹹豆漿(シェンドウジャン)は、
豆乳のように見えるが、
台湾では「飲み物」として扱われていない。
それはもう、スープだ。
熱い豆乳に酢を加えると、
タンパク質が反応して、
丼の中でゆっくりと固まっていく。
豆腐でもなく、
豆乳でもない、
半分固体の、白い崩れた層。
そこに油條、干しエビ、ザーサイ、ネギ。
ラー油が少しだけ落ちる。
これは「味のついた飲み物」ではなく、
朝に体を起こすための、
塩気のある温かい汁物だ。
日本でいえば、
味噌汁に近い位置にあるのかもしれない。
甜豆漿は、ちゃんと「飲み物」である
一方の甜豆漿(ティエンドウジャン)は、
迷う余地のない飲み物だ。
こちらは、固まらない。
かき混ぜる必要もない。
そのまま飲むために存在している。
甘くて、
豆の味が濃くて、
妙に後を引く。
焼餅や蛋餅、油條を食べながら、
それを流し込むための液体。
台湾の朝においては、
これはコーヒーではない。
もっと直接的なエネルギー源で、
もっと生活に近い液体だ。
2つは、用途がまったく違う
この2つは、
単なる味の違いではない。
「用途」が違う。
甜豆漿は、
主食を支えるための飲み物。
焼餅、蛋餅、飯糰。
そういった小麦や米を流し込むための、
甘い潤滑油だ。
一方、鹹豆漿は、
それ自体が料理であり、
主役にもなり得るものだ。
何も食べたくない朝。
二日酔いの朝。
胃に何か、温かいものを入れたい朝。
そのとき、
鹹豆漿は選ばれる。
なぜ、どちらかに統一されなかったのか
普通なら、
どちらかに収束してもよさそうなものだ。
甘い豆乳だけでもいいし、
しょっぱい豆乳だけでも成立する。
でも台湾では、
そうならなかった。
おそらく理由は単純で、
台湾の朝が、「一種類の朝」ではないからだ。
急いでいる朝。
ゆっくりした朝。
腹が減っている朝。
何も入れたくない朝。
そのすべてに、
ひとつの答えを出さなかった。
その代わり、
2つの豆乳をそのまま残した。
だから店には、必ず両方が並んでいる
豆漿店のカウンターに行くと、
必ずこう聞かれる。
「甜的?還是鹹的?」
甜か、鹹か。
それは、
味を選んでいるのではなく、
今日の自分を確認しているだけなのだと思う。
飲み物か。
スープか。
甘さか。
塩気か。
その朝の体調と相談して、
静かに選ぶ。
台湾の朝には、
そういう小さな選択が、
あちこちに置かれている。
朝の交差点で、
ひとつは熱い豆乳を、
ひとつは冷たい豆乳を片手に持った人とすれ違う。
それは優劣でも、文化の衝突でもない。
ただ、
2つの豆乳が、
今日も並んで機能しているというだけのことだ。
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