―― 引き算から生まれた小さな椀 ――

担仔麺は、小さな椀で供される麺料理である。
細い麺に、少量の肉燥(豚そぼろ)、海老が一尾。
透明感のあるスープは、豚骨ではなく海老の頭から取られている。
量は少ない。
腹を満たすための料理ではない。
一口目で終わり、二口目で輪郭が立ち、
飲み干したあとに、もう一杯あってもいいと思わせる。
台南では、この小さな椀が長い時間をかけて受け継がれてきた。
小さな椀と低い視線
担仔麺を食べるとき、視線は自然と低くなる。
伝統的な店では、風呂椅子のような低い竹椅子に座り、
小さなテーブルを挟んで麺をすする。
薄暗い明かり。立ち上る湯気。
店主は立たず、竈の前に座っている。
これは食事というより点心に近い。
満腹のためではなく、舌のために存在する、
削ぎ落とされた小宇宙のように見える。
台風と「度小月」
担仔麺の起源は、19世紀末の台南にあるとされる。
創始者とされる洪芋頭は、もともと漁師だった。
夏から秋にかけて、台南の海は台風が多い。
この時期、海に出られない。
漁師にとっては収入が途絶える「小月」、閑散期である。
この期間をどう乗り切るか。
そのための手段として、洪芋頭は天秤棒を担ぎ、麺を売り歩いた。
「担仔」とは天秤棒のことを指す。
そして「度小月」とは、閑散期をやり過ごすという行為そのものだった。
担仔麺は、
漁業という不安定な生業に対する、
一種のリスクヘッジとして生まれた料理である。
引き算としての設計
担仔麺の椀は驚くほど小さい。
日本のラーメンのように、
一杯で完結する構成ではない。
主食の代替ではなく、
あくまで「巧味」を楽しむための設計だった。
食べさせるのではなく、味わわせる。
量を削ることで、
一つ一つの要素が際立つ。
質素だが、贅沢でもある。
引き算によって成立した料理だと言える。
身は具に、頭は出汁に
担仔麺の具材は少ない。
肉燥は長時間煮込まれた味の核。
海老は一尾だけ、椀の頂点に置かれる。
スープは豚骨ではなく、海老の頭から取られる。
身は具材にし、頭は出汁にする。
これは偶然ではない。
漁師らしい、資源を無駄にしない発想がある。
歩留まりを最大化し、
香りを最大限に引き出す。
小さな椀の中に、
生活の知恵が折り畳まれている。
所作として残る天秤棒の記憶
担仔麺を作る人は立たない。
客と同じ目線で座り、
目の前で麺を湯がき、タレをかける。
この姿勢は、
天秤棒で売り歩いていた時代の名残だとされる。
移動式屋台の記憶が、
今も調理の所作として保存されている。
仕上げに加えられるのが、
おろしにんにくと黒酢である。
濃厚な肉燥と海老出汁は、
放っておくと輪郭がぼやけやすい。
にんにくの刺激と黒酢の酸味が、
その輪郭を引き締める。
ここでも足し算ではなく、
制御としての調味が行われている。
台南という時間を食べる
台北にも担仔麺はある。
だが台南の人にとって、それは別の料理に見える。
台南の担仔麺には、
地域の歴史と自負が染み込んでいる。
甘めの味付けも、
かつて砂糖が高級品であり、
台南が砂糖産業で栄えた土地だったことと無関係ではない。
甘さは、豊かさの記憶でもある。
現代の私たちは、
エアコンの効いた店内で担仔麺を食べている。
だが、低い椅子に座り、
海老の香りを嗅ぐとき、
台風で海に出られず、
天秤棒を担いで街を歩いた漁師の、
生き延びるための選択を、
わずかに追体験しているのかもしれない。
椀は小さい。
だが、飲み干した後に残る余韻は、
台南という街の時間そのもののように感じられる。




