―― 新幹線が変えた高雄の重心 ――
かつて、台北と高雄の間には、空のシャトル便があった。
松山から小港へ。
朝から夜まで、ほぼ途切れることなく飛んでいた。
中華航空。
エバー航空。
遠東航空。
搭乗口には、スーツ姿の男たちが並び、
その多くは、同じ日のうちに戻っていった。
飛行機で往復することは、
特別なことではなかった。
それは、日本でいえば、
羽田―伊丹に近い感覚だった。
2007年、新幹線の登場
2007年。
台湾高速鉄道が開業する。
台北から高雄(左営)まで、
最速90分。
この数字は、
単なる所要時間ではなかった。
空港までの移動。
チェックイン。
搭乗待ち。
それらをすべて含めると、
飛行機は、新幹線に勝てなかった。
運賃も、
高鉄のほうが安かった。
空は、
時間と価格の両方で負けた。

空路という選択肢
開業から数年で、
乗客は急減した。
便数は減り、
やがて、路線そのものが消えた。
台北ー高雄線の廃止は、
航空会社の経営判断として語られがちだ。
だが、
その影響は、
もっと地味で、
もっと深いところに及んでいる。
入口が変わった街
ここが、
最も重要な点だ。
高雄国際空港(小港)は、
都市の南端にある。
一方、
高鉄・左営駅は、
高雄の北側にある。
飛行機が主役だった時代、
人の流れは南から入った。
塩埕区。
三多商圏。
それらが栄えたのは、
偶然ではない。
しかし、新幹線が主役になると、
人は北から入ってくるようになった。
北から南へ
台北から来る人は、
まず左営に降りる。
そこから、
街へと流れていく。
つまり、
都市の入口が、
物理的に移動した。
これは、
政策でも、
キャンペーンでもない。
線路の位置が、
そう決めてしまった。
アリーナが勝つ理由
左営の近くには、
漢神アリーナがある。
瑞豊夜市もある。
人が集まる。
店が増える。
街が若返る。
一方、
南側はどうなったか。
空港周辺は、
終点になった。
通過される場所ではなく、
目的地として選ばれにくくなった。

インフラは中立ではない
国内線の廃止は、
交通手段の変化ではない。
それは、
都市構造の書き換えだった。
もし、高鉄が
高雄駅の真下に来ていたら。
もし、
空港の横まで延びていたら。
高雄の地図は、
今とは違っていただろう。
空白が語るもの
今、小港空港は静かだ。
国際線の待合室には、
余裕がある。
かつて、
台北行きの搭乗口があった場所は、
もう使われていない。
その空白は、
失われた路線の痕跡であり、
街の重心が動いた証拠でもある。
高雄は、
北へ向かう宿命を、
インフラによって与えられた。
空が負けた日、
街の向きが変わった。




