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台湾の車輪餅についての記録

台湾の街を歩いていると、ある屋台に何度も出会う。

丸い鉄板。
円盤状の菓子。
中に餡が詰まっている。

どう見ても今川焼だ。

だが、看板には「車輪餅」と書いてある。
なぜ車輪なのか。
なぜ台湾に、これがあるのか。

最初は、日本統治時代の名残だろうと思っていた。
だが、なんどか食べるうちに違和感が積み重なっていく。

これは、知っている今川焼ではない。


海を渡った今川焼

日本統治時代、今川焼きは「太鼓饅頭」などの名で台湾に渡った。
丸く、甘く、腹にたまる。労働者や子供にとって、わかりやすい贅沢だった。

戦後、日本では地域ごとに名前が分岐した。
今川焼き、大判焼き、回転焼き。
一方、台湾では迷いがなかった。

焼き型から外されたその姿は、ただの円盤だった。
車のホイールに似ている。
それだけの理由で、「車輪餅」という名前が定着する。

詩的でも、由緒正しくもない。
だが台湾らしい。機能と形状をそのまま名前にする文化だ。


しっとりを捨て、割れる皮を選んだ

日本の今川焼きは、生地が主役だ。
ふわふわで、しっとりしていて、お茶請けとして完成している。

台湾の車輪餅は、途中で別の道を選んだ。
皮は薄く、乾き、焼き上がるとパリッと割れる。

噛んだ瞬間に壊れる皮。
その中から、具が流れ出す。

これは菓子というより、具材を食べるための容器だ。
主役は中身に移った。

高温多湿の屋外で、短時間に大量提供する。
その条件下では、厚い生地よりも、
「薄く、早く、焦げ目がつく皮」の方が合理的だった。


甘味から惣菜へ

日本の今川焼きは、基本的に甘い。
あずきとカスタードで完結する。

台湾の車輪餅は、途中でルールを破った。
甘いかどうかは、もはや重要ではない。

切り干し大根の炒め物。
胡椒の効いたひき肉。
チーズ、コーン。

包めるものは、すべて包む。
車輪餅は「味のジャンル」を放棄し、
包摂装置になった。

ここには台湾屋台文化の本質がある。
料理の正統性より、満足度と即効性が優先される。


Qを詰める円盤、異物を詰める円盤

車輪餅の進化が最も分かりやすく表れるのが、
タピオカとオレオだ。

タピオカ車輪餅は、明確な意図を持っている。
それはQの追加だ。

皮は薄く割れ、
中から黒い粒が現れる。
噛むと、押し返す。
歯が一瞬、止まる。

甘さは二の次だ。
重要なのは、噛んだときに「反発」があるかどうか。
車輪餅は、タピオカという他所者を使って、
Qを内部に仕込んでいる。

一方、オレオは少し性格が違う。

多くの店では、砕かない。
一枚を、そのまま入れる。

理由は単純だ。
粉にすれば、意味がない。

オレオは「異物」である必要がある。
黒く、硬く、割れ方が予測できない。
中に入った瞬間、車輪餅の内部に食感のノイズが生まれる。

柔らかい世界に、
わざと引っかかりを作る。
台湾の屋台が好む、あの感覚である。


最小資本で回る円盤

車輪餅の屋台は、極端にシンプルだ。

銅の焼き型。
ガス。
小麦粉。

冷蔵庫も、大きな仕込み場もいらない。
路地の隙間でも、バイクの横でも始められる。

これは台湾における、
小さな設備投資で始められる事業の完成形だ。

都市が変わっても、
再開発で場所を追われても、
屋台は別の隙間に移動する。

円盤は、環境に適応し続ける。


別種として生き残った理由

日本人が台湾の車輪餅を食べると、
懐かしさと違和感が同時に来る。

形は知っている。
だが性格が違う。

それは、同じ祖先を持つ別種だ。
日本の今川焼きが「完成された和菓子」なら、
台湾の車輪餅は「変異を続けるストリートフード」だ。

高温。
湿度。
路上。
即食。

この環境で生き残るために、
円盤は進化した。

包むものを選ばず、
皮を捨て、
都市の隙間で増殖する。

それが、車輪餅だ。

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