―― 宴席を支配する生存の価値 ――
披露宴や忘年会の席で、最後に姿を現す魚がいる。
ハタである。
価格は一尾数千元。
この値段は、味覚だけに対して支払われているわけではない。
生きたまま、目の前に運ばれてきたという事実に対する対価だ。
ハタ、とりわけ龍虎斑は、加熱しても身が崩れない。
皮には厚いコラーゲン層があり、歯を跳ね返すような弾力を持つ。
だが、この弾力は永続しない。
死後、数時間で急激に失われる。
ハタにとって、死は商品価値の大半を失うことを意味する。
だから流通は、味よりも先に生存を守る。
水があればいいという誤解
よく聞かれる問いがある。
生簀に入れて台北まで運べばいいのではないか、というものだ。
だが、水は万能ではない。
魚を生かす装置であると同時に、殺す要因にもなる。
狭い水槽では、排泄物がすぐに溜まる。
アンモニアである。
濃度が上がれば、魚は自分の排泄物で中毒死する。
酸素も問題になる。
大型魚であるハタは、多くの酸素を必要とする。
輸送中の振動は魚を興奮させ、呼吸量を増やす。
結果として、酸欠が進む。
温度差も致命的だ。
南部の三十度近い水から、北部の二十度前後へ。
急激な変化は、心不全を引き起こす。
トラックが運んでいるのは、水ではない。
濾過され、酸素を注入され、温度を一度単位で管理された、
動く生態系そのものである。
水の重力と非効率
ハタの物流を見て、まず目につくのは重さだ。
魚そのものよりも、水のほうが圧倒的に重い。
一キロの魚を生かすために、十キロの水を積む。
その比率で、高速道路を北上する。
キャベツは山から、重力に従って降りてくる。
一方、ハタは重たい環境を背負い、重力に抗って移動する。
この非効率なエネルギー消費が、そのまま価格になる。
高級魚のステータスは、味覚以前に物理で支えられている。
水辺のシリコンバレー
南部、屏東の養殖池は、もはや池ではない。
水の流れ、酸素量、微生物の状態が常時監視されている。
魚は自然に任せて育てられているわけではない。
精密に管理された環境で、タンパク質として生産されている。
出荷前には、餌を止める。
数日かけて内臓を空にする。
輸送中の排泄を減らすためだ。
これは鮮度のためではない。
物流のための最適化である。
海峡の熱量を食べる
蒸し上がったハタを口に運ぶとき、
食べているのは身だけではない。
南部の水温、トラックの振動、
酸素を送り続けた装置の音。
それらが、弾力として残っている。
骨を抜かれた魚が、労働の外部化の記録だとするならば、
生きて届いたハタは、
自然環境をそのまま都市へ移植した記録である。
皿の上の張りは、
その不自然な旅を生き延びた証として、静かに主張している。


