―― 南の街に残った、時間の余白 ーー
高雄MRTは、最初から国家事業ではなかった。
台湾で初めて、BOT方式で建設された地下鉄だ。
民間が建設し、運営し、一定期間後に返還する。
政府の財政負担を減らすための選択だった。
ただ、公共交通は収益を生みにくい。
利用者が増えても、維持費は下がらない。
開業後、高雄MRTは長く赤字を抱えた。
経営主体は変わり、
公的資金も繰り返し投入された。
この鉄道の歴史は、
交通計画というより、
都市が公共性をどう引き受けるかの試行錯誤に近い。
岡山の夜
2005年夏。
開業前の高雄県岡山で、大規模な暴動が起きた。
外国人労働者の宿舎。
劣悪な環境と、厳しい管理。
怒りは一気に噴き出した。
建物が焼かれ、
事件は治安問題として報じられた。
ただ、あの夜は、
都市の成長を支えていた労働が、
一瞬だけ前景化した時間でもあった。
今のMRTのホームは涼しく、静かだ。
その裏側に、
こうした現場があったことは、
記録として残しておきたい。
バイクの街
高雄の道は広い。
直線が多く、空が開けている。
この街で、バイクは特別な存在だ。
移動手段というより、生活の一部に近い。
ドアを出て、またドアに着く。
待つ必要がない。
地下に降りて電車を待つという行為は、
この街の時間感覚と、少しだけ噛み合わなかった。
開業当初、駅は静かだった。
「幽霊地下鉄」と呼ばれた時期もある。
高雄MRTが向き合っていたのは、
交通需要ではなく、
街のリズムそのものだった。
光のドーム
美麗島駅にあるステンドグラス。
地下に広がる、大きな色の塊。
実用性だけを考えれば、
過剰に見える。
ただ、速さや便利さでは、
バイクには勝てない。
地下鉄を、
通過するだけの場所ではなく、
立ち止まる理由のある場所にする。
あの空間には、
そんな意図が込められていたように見える。
結果として、
美麗島駅は街の記号になった。
南国のペース
時間はかかったが、
高雄MRTは少しずつ街に馴染んだ。
猛暑を避けるための移動。
学生や高齢者の足。
台北のような張り詰めた空気はない。
エスカレーターも、
どこか緩やかに感じる。
効率を競うための血管ではない。
街の中に、
別の時間を残す通路。
高雄MRTは、
南の街の速度で走っている。
■ 参考記事リスト
■ 台湾の移動システム(網羅的な解説)
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