―― 視覚が味覚を追い越したあと ――
小籠包は、かつて熱いうちに食べるものだった。
湯気が立っているうちに口へ運び、破れないよう慎重に、だが急いで食べる。その一連の動作が、料理の一部だった。
いまは少し違う。
まず、撮影が入る。
小籠包は、冷める前に記録されるものになった。
味覚から視覚への交代
かつては舌が先に味わっていた。
今は、レンズが先に覗いている。
動画の中で重視されるのは、味そのものよりも、
「揺れ方」や「溢れ方」になっている。
箸でつまんだときの微かな震え。
レンゲに乗せられたときの沈み込み。
突いた瞬間に流れ出すスープの量と速度。
それは味の記述ではなく、物理現象の記録に近い。
スープの量が増えたのは、
味のためではなく、見せるためだったのかもしれない。
レンゲという小さな舞台
SNS上で繰り返される光景がある。
白いレンゲの上。
揺らされる小籠包。
箸で穴を開け、洪水のように流れ出るスープ。
そこで起きているのは、食事ではなく、
15秒の上演に近い。
かつて作法だった動作は、
いまは演出になっている。
鼎泰豊がつくり上げた食べ方は、
模倣され、誇張され、編集されて、
デジタル上で独立した振る舞いになった。
色とサイズのインフレ
視覚的な競争は、色と大きさにも影響を与えた。
七色の小籠包。
黒トリュフ風味。
烏龍茶色の皮。
ストローで飲むスープ。
かつて小籠包は、
淡い小麦色の、目立たない点心だった。
いまは、極彩色の世界に適応しながら、
存在感を拡張している。
それは進化なのか、迷走なのか。
あるいは、デジタル空間における擬態なのかもしれない。
画像が先に世界へ行く
かつての国際化は、店が増えることで進んだ。
支店を出し、看板を掲げ、職人を送り込み、時間をかけて広がった。
いまは違う。
画像は先に行く。
動画は国境を越え、時差を越え、言語を越える。
小籠包を実際に食べたことがなくても、
「タプタプするもの」として知っている人は増えている。
そこには、味も、匂いも、湯気もない。
あるのは、イメージだけだ。
小籠包の現在地
小籠包は、もはや食卓の上だけにない。
スマートフォンの中にも存在している。
それはもう、料理というより、
共有される現象に近い。
味覚の上に、視覚が覆いかぶさり、
その上で、小籠包は今日も揺れている。
† 小籠包の記録を続けて読む
・小籠包の高級化
https://eatinthecorner.com/taiwan/xiaolongbao-luxuryization-taiwan/
・小籠包の国際化
https://eatinthecorner.com/taiwan/xiaolongbao-globalization-taiwan/
・小籠包のエンタメ化
https://eatinthecorner.com/taiwan/xiaolongbao-taptapization-taiwan/
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