
嘉義市には火雞を育てる養殖場がない。それでも市内には、コンビニ四社の店舗数を合わせたより多くの雞肉飯店があり、その多くが周辺から運ばれた七面鳥を使っている。
嘉義を歩くと、雞肉飯(ジーローハン)の店が目につく。2024年に嘉義市立博物館が開いた火雞肉飯(フォージーローハン)の特別展では、市内で雞肉飯を売る店が150軒を超え、そのうち火雞肉飯を主に扱う店だけでも少なくとも65軒あると紹介された。市内の大手コンビニ四社を合わせた店舗数より多い。
ところが、嘉義市には火雞を育てる養殖場がない。店で使われる七面鳥は、雲林、嘉義県、台南など周辺から運ばれてくる。
火雞を育てていない街に、なぜこれほど火雞肉飯の店が集まったのだろう。
七面鳥は、嘉義が見つけた鳥ではない
嘉義の火雞肉飯には、戦後に駐台米軍が七面鳥を持ち込み、そこから料理が生まれたという説明が付いて回る。嘉義市の観光資料にも、同じ趣旨の記述が残っている。
七面鳥が台湾へ来たのは戦後ではない。日本統治期にはすでに農事試験場で飼育され、1909年にはその様子を写した写真が新聞に載っている。1920年代には彰化郡下で2,700羽が飼われ、農家の副業として七面鳥を勧める記事も出ていた。
嘉義が七面鳥を初めて手に入れたわけでも、嘉義だけに七面鳥がいたわけでもない。現在でも台湾で育てられる火雞の九割以上は雲林、嘉義県、台南の三地域に集中し、嘉義市そのものは生産地に入らない。
名物には、後から分かりやすい起源物語が付くことがある。嘉義の火雞肉飯で問うべきは、七面鳥がどこから来たかではなく、台湾にすでにいた七面鳥が、なぜ嘉義では雞肉飯の肉として定着したのかという方だろう。
雞肉飯の中で、火雞が残った
嘉義の雞肉飯には、噴水雞肉飯をめぐる有名な起源譚がある。二代目の林昭正は、祭祀で使うような雞肉から、より安い肉用の鶏へ替え、肉が柔らかすぎたため別の鶏を試し、最終的に火雞へ落ち着いたと語っている。火雞は価格だけでなく、繊維の太さや噛み応えでも選ばれたという。
資料はきれいには揃わない。嘉義市政府衛生局の資料は初期に肉用の鶏を使ったとし、嘉義市立博物館の説明には1949年の時点から火雞だったように読めるものもある。いつ、どの肉から火雞へ変わったのかを、一本の年表にすることはできない。
最初の一羽を決める必要はない。雞肉飯に載せる肉には選択の余地があり、その中で嘉義では火雞が残った。安ければ何でもよかったわけではなく、食べたときの食感まで含めて選ばれていった。
雞肉飯という料理の形が先にあり、その上に載せる肉として火雞がはまった。それだけなら、一軒の名物で終わっていてもおかしくない。
大きな鳥は、家庭より店に向いた
七面鳥は鶏よりはるかに大きい。台湾で主流の白羽の火雞は、雄で17kgから22kgほどになる。家庭で一羽を買って調理するには扱いにくい。台湾の畜産関係の資料も、一般家庭は火雞の調理法に慣れておらず、大きな鳥を扱う器具も持たないため、伝統市場やスーパーに生の火雞肉はほとんど並ばないと説明している。
専門店から見ると、大きさは欠点ではない。胸肉は雞肉飯になり、腿肉など別の部位は別皿の料理にできる。内臓は湯物に回る。屠畜後は丸鶏と内臓が別々に取引されることもあり、すべての店が一羽を丸ごと使い切るわけではない。それでも、一羽から大量の肉が取れる鳥は、同じ料理を一日に何百杯と売る店の側に向いている。
家庭には大きすぎる鳥が、店には使いやすい原料になる。
二軒目以降も、同じ商売が成立した
嘉義の特徴は、噴水雞肉飯のような有名店が一軒できたことだけではない。同じ料理を売る店が、その後も次々と成立したことだ。
嘉義市立博物館は、火雞肉飯の調理が比較的模倣しやすく、店を開いたり別の商売から転じたりして生計を立てる手段になったと整理している。蔣経国が嘉義を訪れるたびに火雞肉飯を食べ、称賛したことも、知名度を押し上げたとする。
どの店から誰が独立したのかまで辿れる系譜は残っていない。現在の店も共通のレシピで動いているわけではない。肉を裂く店もあれば切る店もあり、飯の硬さも醬汁も油蔥酥(ヨウツォンスー)も違う。それでも、火雞肉飯を売るという商売だけは繰り返し成立した。
仮に最初の一軒を特定できたとしても、それだけでは現在の嘉義は説明できない。二軒目、三軒目、その先まで同じ業態が成立し続けたことで、一軒の店の商品が嘉義という街の食べ物へ変わっていった。
嘉義火雞肉飯を作ったのは、最初の一軒だけではなく、二軒目以降だったのかもしれない。
店の先に、火雞だけの流通ができた
火雞肉飯店が増えれば、その背後に鶏肉とは別の流通が要る。台湾で育てられた火雞は、飼養農家から肉商へ渡り、屠畜された後、その多くが火雞肉飯店へ運ばれる。農業部の調査では肉商を介する流通が中心で、農家が肉商を兼ねる場合もある。小売段階として説明されているのは一般のスーパーではなく、市中の火雞肉飯店だ。
ここまでは資料に書かれている。
一つの街に火雞肉飯店が何十軒もあれば、火雞を継続的に扱う商流には十分な需要がある。肉商にとって扱いやすくなれば、店も火雞を安定して仕入れられる。仕入れが安定すれば、次の店も同じ商売を始めやすい。嘉義でこの循環がどの順番でできたのかを示す資料はない。
ただ、市内に養殖場が一つもないまま、周囲から火雞が入り続け、数十軒の専門店が営業している。産地に店が付いたというより、店の集積が外から原料を引き込んだと考えた方が、現在の姿は理解しやすいだろう。
火雞肉飯に合わせて、火雞を育てる
台湾の火雞生産は戦後に大きく増えた。1950年代初めに年20万羽ほどだった飼養数は、1980年代には70万羽ほどに達する。1980年代以降は冷凍火雞肉の輸入などもあり、国内産業は縮小した。現在の飼養戸は全国で百戸に満たず、農業部自身が火雞を「微型産業」と呼ぶ規模になっている。
国産火雞の需要が消えたわけではない。台湾で育てられる火雞の90〜95%ほどは、火雞肉飯店へ向かうとされる。火雞肉飯店は、国産火雞にとって数ある販路の一つではない。ほとんどその市場そのものになっている。
店の要求は、鳥の育て方にも返っている。海外では丸焼きにすることが多く、焼いた肉が硬くなりすぎないよう比較的若いうちに出荷する。台湾では火雞肉飯にしたときの噛み応えを重視し、店が肉を取りやすく、取れる量も多くなるよう、国外より長く育てると農業部は説明している。飼育技術の向上によって、同じ育成期間でも出荷時の体重は重くなり、それが市場の需要にも合ってきた。
最初に火雞があったから店が生まれたのか、店が増えたから産業が現在の形になったのか、その境目を引くことは難しい。ただ現在だけを見れば、火雞肉飯は国産火雞産業を支えるだけでなく、どのように鳥を育てるかまで左右している。
火雞を使って料理を作るというより、火雞肉飯のための火雞を育てている。
嘉義の外でも、嘉義が基準になった
店が増え、商流まで成立すると、嘉義の火雞肉飯は街の外からも認識されるようになる。1997年の口蹄疫の少し前、台北を中心に魯肉飯(ルーローハン)を売る鬍鬚張では、新商品として雞肉飯を長く開発していた。商品化直前の試食で、社員から「嘉義雞肉飯とは比べものにならない」という趣旨の反対が出て、発売はいったん見送られたと張永昌は後に語っている。
重要なのは、鬍鬚張がその後に雞肉飯を売ったことではない。自社の雞肉飯を評価するとき、社員が当然のように「嘉義雞肉飯」を比較対象に持ち出したことだ。
1997年の時点で、嘉義は単なる地名ではなかった。嘉義の中で同じ料理を売る店が増え続けた結果、街の外で雞肉飯を作る側まで嘉義を意識するようになっていた。
最後に、行政も火雞肉飯を使い始めた
行政が火雞肉飯を街の資源として扱い始めるのは、その後になる。2011年には嘉義市雞肉飯節が開かれた。農業部は、このころ三年続けて市と共催したと記している。2013年には農糧署の「鮮享在地招牌飯」の投票で嘉義市の火雞肉飯が1位になり、市長は会場で市内の火雞肉飯を割引すると宣言した。
2016年には、嘉義市政府衛生局による業者への衛生指導をきっかけに、火雞肉飯協會が作られた。行政はレシピを決めていない。ばらばらに営業していた店を、食の安全と業界団体という枠組みで束ねた。
2021年の台湾デザイン展では、火雞肉飯は名物料理としてではなく、嘉義という街を説明する材料として使われた。小さな街の中に暮らしに必要なものが揃う嘉義と、一杯の中に必要なものが収まる火雞肉飯が重ねられた。2024年には、その歴史そのものが嘉義市立博物館の特別展になった。
行政が火雞肉飯を発明したわけではない。店が増え、街の外からも嘉義の名前で認識されるようになった後で、すでにあった集積を観光、食の安全、デザイン、博物館へ接続した。固定されたのはレシピではなく、「火雞肉飯は嘉義を代表する食べ物だ」という位置づけだった。
嘉義が作ったのは、一杯ではなかった
嘉義市には、今も火雞の養殖場がない。それでも周辺から七面鳥が運ばれ、街には何十軒もの火雞肉飯店がある。台湾で育てられる火雞のほとんどを火雞肉飯店が引き受け、店の求めに合わせて鳥の育て方まで変わった。
最初の一杯だけを探していても、この状態は説明できない。店が増え続けたことで、一軒の商品が街の業態になった。業態が集積すると、その背後に火雞を専門店へ届ける商流ができ、国産火雞産業はやがて火雞肉飯を主要な需要先とするようになった。その名前は街の外でも雞肉飯の基準として意識され、最後には行政まで火雞肉飯を使って嘉義を説明するようになった。
嘉義が作ったのは、一つの火雞肉飯ではない。
火雞肉飯が何軒あっても成立し、その料理で街そのものを説明できる状態だったのかもしれない。
