高雄85大樓の誕生についての記録

港に近い高雄の街で、高さ347.5メートルの高雄85大樓だけが周囲の建物を大きく突き抜けている。いまは一棟だけが別の時代から残されたように見えるが、完成した1997年の空には、その先の高層開発まで描かれていた。

高雄85大樓。高さ347.5メートル。港に近い場所から、周囲の建物を大きく突き抜けている。足元には高雄市立図書館総館や高雄展覧館があり、少し歩けばLRTも通る。それでも85大樓だけが、別の時代から残された建物に見える。

この姿から過去を想像すると、話は簡単になる。街もまだ十分にできていない場所に、バブルの勢いで巨大なビルを建てた。それが後に取り残された――。

85大樓が計画された1980年代末の高雄へ戻ると、景色は少し違う。

当時、現在の三多商圏はまだ完成していない。繁華街として強かったのは大統百貨や新堀江の側で、三多一帯が商業中心になるのはもう少し後だ。それでも中山路と三多路の交差点では、1986年に遠東集団が高雄初のショッピングセンターを開いていた。新しい商業投資は、すでに始まっていた。

すぐそばには台湾最大級の港があり、南には小港空港がある。高雄の空には、超高層ビルも伸び始めていた。

85大樓は、何もない場所に突然現れた塔ではない。これから大きくなりそうな街の上に、その先の未来まで先に積み上げた建物だった。


南高雄には、人が集まる理由が増えていた

小港空港は、もともと軍用飛行場だった。1965年に民間航空へ移り、1969年に国際貨物、1972年に香港との国際旅客便が始まる。国際旅客より先に、国際貨物だった。空港は観光都市の玄関としてではなく、港と工業に支えられた輸出都市の交通網の一部として大きくなった。

1980年代後半、台湾の航空市場が変わる。1987年に航空自由化が進み、高雄空港の利用者は増えた。台北と高雄の間を飛行機で移動する人が多く、旅客数がピークを迎える1997年には、利用者の約4分の3が国内線だった。

小港空港を「国際都市・高雄の玄関」とだけ見ると、実態からずれる。当時の強さはもっと実務的だった。台湾の北と南を短時間で行き来する人が大量に使う空港が、高雄の南側にあった。その空港から市街へ入る中山路の軸上で、三多周辺の商業開発も進んでいく。

85大樓の計画が動き始めた1988年、この一帯はまだ完成した都心ではない。その代わり、これから人と商業が増える理由がいくつもあった。

現在の85大樓から地図を眺め、「なぜ港側に建てたのか」と考えると分かりにくい。小港空港から高雄へ入る側から地図を見直すと、印象は変わる。南から市街へ向かう線の先に、これから育つ商業地区があった。

高雄空港についての記録

着陸直前の窓に、高層ビルではなく高炉や造船所のクレーン、椰子の木が見えてくる。ターミナルを出れば、空港はすぐに街の地下鉄へつながっている。

世界の片隅でいただきます

高雄の空は、85大樓の前から高くなり始めていた

85大樓を一本だけ見ると、347.5メートルという数字は唐突に見える。高雄では、その前から高層化が進んでいた。

1992年、長谷世貿大樓が完成する。高さ222メートル。完成時は台湾で最も高い建物だった。設計は李祖原。85大樓と同じ建築家だ。いまは85大樓の陰で目立たないが、200メートル級の建物が台湾一だった時期に、それより100メートル以上高い塔の工事がすでに進んでいた。

背景には、港を中心に成長してきた高雄の勢いがあった。1990年代の高雄港は世界有数の貨物取扱量を持ち、街には港湾、製造業、物流が生んだ経済活動があった。

85大樓の計画が始まったのは1988年。着工は翌1989年。

台湾政府が「亜太営運中心」構想を打ち出し、高雄にも国際的な経済機能を持たせようとするのは、その後の1990年代半ばになる。85大樓は、この政策に従って建てられた建物ではない。

民間の巨大な建物が先に動き始め、その建設の途中から、台湾をアジアの経済拠点へ変えようとする国家の構想が重なってきた。最初から一枚の完成した都市計画があったわけではない。それでも1990年代半ばになると、別々に始まった動きが同じ方向を向いて見え始める。

大きな港があり、空港の利用者は増え、三多周辺には商業施設が集まり始めていた。200メートルを超える超高層ビルもすでに建っている。そのうえ、高雄をさらに国際的な商務都市にしようという話まで出てきた。その中に、建設中の85大樓があった。


一棟の中に、未来の都市を積み上げる

85大樓は、高さだけの建物ではない。商業施設、オフィス、ホテルが入り、室内テーマパークや展示空間も計画された。外部へ販売する套房と呼ばれる小型の部屋もあり、上層には高雄を一望する展望施設が置かれた。

仕事も買い物も宿泊も娯楽も、展示も眺望も、一つの建物の中に重ねる計画だった。

設計した李祖原の事務所は、85大樓を「垂直立体都市」と説明している。平面は八つのコアに分けられ、商業施設、ホテル、オフィスといった用途を互いに干渉させず、独立して管理できるよう考えられていた。「垂直都市」は、設計者自身の言葉だった。

街そのものは、すでにあった。三多周辺では商業集積も始まっていた。85大樓が先に作ろうとしたのは街そのものではなく、その街がもっと大きくなったときに必要になるはずの機能だったのだろう。

百貨店、オフィス、ホテルのどれか一つではなく、都市のさまざまな用途を350メートル近い一棟に積み、これから大きくなる高雄を縦方向に先取りする。

結果を知る現在から見ると、一つの建物にあまりにも多くを詰め込んだように見える。計画した側から見れば、逆だったのかもしれない。高雄がこれからもっと大きくなるなら、これくらいの器が要る。85大樓の巨大さは、当時想像されていた高雄の未来の大きさでもあった。


85大樓の周りにも、次の未来が計画されていた

同じ未来を描いた計画は、ほかにもあった。すぐ近くでは、遠東集団が別の大規模開発を進めていた。亜洲企業中心という計画で、最終段階には85大樓を上回る103階の超高層塔が構想されていた。1997年7月、開工式が行われる。最初に着工したのは低層の商業施設で、103階の塔がこの時点で建設に入ったわけではない。それでも計画の中には、85大樓よりさらに高い建物があった。

現在の風景からは想像しにくい。いま85大樓を見ると、周囲から一本だけ抜け出した塔に見える。1990年代後半の計画を並べると、85大樓がいつまでも一本で立つ前提だったようには見えない。

すでに222メートルの長谷世貿大樓がある。その先に347.5メートルの85大樓が立つ。隣では、さらに高い塔を含む開発まで発表されている。未来のスカイラインには、まだ続きがあった。


1997年、高雄の未来が形になった

1997年、85大樓は完成した。計画から9年、着工から8年がたっていた。

同じ年、小港空港では新しい国際ターミナルが完成する。年間旅客数は約1,215万人に達し、高雄空港のピークとなった。利用者の多くは国内線だった。それでも、年間1,200万人を超える人が出入りする空港が南にあり、三多周辺では商業集積が進み、高雄の空には台湾で最も高い建物が立った。その隣では、さらに高い塔を含む計画の開工式まで行われていた。

後から振り返れば、85大樓はあまりにも大きい。1997年の高雄から眺めれば、違って見えたはずだ。これから大きくなると見られていたのは、高雄そのものだった。

完成した塔の向こうには、まだ次の建物がある。増え続ける空港の利用者がいる。新しい商業地区が育ち、高雄をさらに国際的な都市へ変えようとする構想も動いている。未来は、ようやく形になり始めたように見えた。

ただ、その年の夏、アジアではすでに別の動きが始まっていた。

のちに、アジア通貨危機として記憶される。


高雄85大樓の衰退についての記録

高雄85大樓を外から見ると、今も一棟の巨大な塔に見える。けれど内部では、ホテル、套房、商業区画が別々の所有者と時間を持ち、水と電気だけがそれらを一つにつないでいる。

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