八角の香りについての記録

台湾の空港を出て、コンビニに入り、夜市を歩く。茶葉蛋や煮込み料理の鍋から立つ甘く薬草のような香りが、別々の場所で何度も現れる。

台湾に着くと、独特の匂いがする。

空港を出たとき。

コンビニに入ったとき。

夜市を歩いたとき。

甘く、少し薬草のような匂いが、どこからともなく漂ってくる。台湾へ何度か行ったことがある人なら、思い当たるかもしれない。

八角(バージャオ)の匂いだ。

正確には、いつも八角だけの匂いとは限らない。それでも日本人は、台湾料理の中にあるこの系統の香りをかなり敏感に「八角」として拾っているようだ。

八角が何なのか。

台湾でこの匂いに何度も出会う理由。

そして八角は台湾だけの香辛料ではないのに、日本人にはこれほど強く「台湾の匂い」として残る理由。

この三つを順番に追っていく。


八角の正体

八角は、トウシキミという木の果実だ。乾燥させると八つほどの角を持つ星形になる。それで八角。英語では star anise と呼ばれる。原産地は中国南東部からベトナムにかけてとされ、台湾固有の植物ではない。

特徴は、何よりその香りにある。八角の匂いを例えるなら、甘い薬草のような香りが近い。アニスやリコリスを知っている人なら、それに近い。日本人なら、漢方薬や仁丹のような匂いを連想する人もいるだろう。

甘いのだが、砂糖の甘さではない。シナモンほど木の感じは強くない。丁香ほど刺激的でもない。甘く、少し涼しく、薬草のような感じが残る。

この特徴的な香りの中心にあるのが、アネトールという成分だ。八角の精油ではアネトールが80〜90%程度を占めるとされる。もっとも、八角そのものの香りはアネトール一種類だけでは説明できず、少量の別の香気成分も全体の印象を作っている。

台湾で「八角の匂いが苦手」と感じるときも、実際には八角だけを嗅いでいるとは限らない。台湾料理では、八角はしばしば五香や滷包という香辛料の組み合わせの中で使われる。八角のほか、桂皮、丁香、小茴香、花椒、甘草などが入る。肉や卵を煮ている鍋から出てくるのは、それらが混ざった匂いだ。

台湾料理で「八角の匂い」と呼ばれるものの多くは、八角を中心にした滷の香りだ。

ただ、その中でも八角には非常に分かりやすい香りがある。いろいろ混ざっていても八角を感じる。複合した香り全体を「八角の匂い」と呼んでいるのかもしれない。

八角には、香りとは別の性質もある。抗菌作用や抗酸化作用が確認されており、近年の食品研究では、八角を加えることで肉の酸化や保存中に生じる不快な臭いが抑えられる例も報告されている。肉や内臓を煮る料理に八角を入れることには、香り付け以上の合理性がある。

ただし、ここから「台湾は高温多湿だから、保存のために八角文化が発達した」とまで言うことはできない。八角を使う料理も、滷という調理法も、台湾へ渡る前から中国大陸に存在していた。八角が昔から使われてきた理由の一つに、保存性があった可能性はある。

しかし、そこはまだ分からない。


台湾で八角によく出会う理由

台湾料理に何でも八角が入っているわけではない。小籠包にも入らない。鶏肉飯にも普通は入らない。海鮮料理にも、青菜炒めにも、八角を使わないものはいくらでもある。

それでも台湾を旅行していると、八角の匂いに何度も出会う。理由の一つは、八角を含む滷という調理の型が、茶葉蛋(チャーイエダン)や滷味、豬腳といった複数の庶民料理にまたがって使われていることにある。

違う料理を食べているのに、同じ系統の香りが繰り返し現れる。茶葉蛋を食べる。夜市で滷味を見かける。別の日には豬腳を食べ、牛肉麵の湯気からまた似た香りが立つ。その反復が、一つの料理の匂いを場所の匂いへ変えていく。

台湾のコンビニは、そのことをよく表している。台湾の茶葉蛋は、殻にひびを入れた卵を、茶と八角などを加えた汁で煮る。店内で温め続けるため、その香りは売り場にも広がる。台湾のコンビニに特有の匂いとして、茶葉蛋や八角を挙げる日本人の記述は多い。

コンビニが台湾に八角の文化を作ったわけではない。日常的な茶葉蛋という料理が、近代的なコンビニにまで入り込んでいる。台湾では滷の香りが、それくらい普通の食事の中にある。

八角が主役の台湾料理についての記録

台湾の街では、八角は皿の上だけに現れない。コンビニの入口や夕方の住宅街まで、茶葉蛋や滷味を煮る甘く漢方めいた香りが広がっている。

世界の片隅でいただきます

それでも、八角は台湾だけの香りではない

ここで少し困る。

八角は台湾だけで使われる香辛料ではない。原産地は中国南東部からベトナムにかけてだ。中国料理では広く使われ、福建系の五香料理にもある。ベトナムのフォーにも八角を使う。

マレーシアにも福建系華人が多く、肉骨茶や五香系の料理には八角、桂皮、丁香などを使うものがある。台湾の食文化が福建・閩南系移民の影響を強く受けていることだけで「台湾=八角」を説明することも難しい。同じように福建系の食文化が渡ったマレーシアがあるからだ。

八角の消費量を台湾、中国、ベトナム、マレーシアで比較した統計も見つからない。

台湾人は他の国の人より圧倒的に八角を食べる。

とまでは言えない。

それでも、日本語で台湾料理について調べると、八角は何度も現れる。台湾旅行についても、「八角の匂いが苦手」という話は珍しくない。

すると、問題は台湾で八角がどれくらい使われているかだけではなくなる。八角を嗅いでいる側、つまり日本人の側にも理由を探す必要がある。


日本との差分としての八角

台湾料理を日本料理と比べてみる。もちろん、違いは多い。

白い飯の横に醤油色の煮豚がある。生姜や葱も使う。煮る、蒸す、揚げるという調理法も珍しくない。そこまでは、日本人にもかなり理解しやすい。

ところが口へ持っていくと、八角が香る。そこだけが急に知らない。

この差は、台湾の八角の印象を考える手がかりになる。たとえばマレーシアには、八角を使う福建系料理がある。しかしその隣には、ココナッツやレモングラスの香りもある。日本料理との差が、あちこちにある。

タイでも似ている。ナンプラーやレモングラスなど、どれか一つを取り出して「これがタイの匂いだ」と言うのは難しい。

台湾では事情が少し違う。日本人にとって知っている味がかなりあり、その中で、八角を中心とした五香の香りだけが、かなり遠い。

それだけ目立つ。

台湾料理が日本料理と遠いから、八角が目立つのではない。

台湾料理が日本料理と近いからこそ、八角が目立つ。

ここに一つの仮説が立つ。これは食品成分を定量比較して証明された話ではない。台湾料理と日本料理の「香りの距離」を測った研究があるわけでもない。あくまで仮説だ。

ただ、この仮説を置くと、同じ八角を使うマレーシアやベトナムより、台湾で八角を強く意識する理由は説明しやすくなる。


日本人は、八角を気にしている

少なくとも、日本人が台湾料理の八角をかなり意識している現象自体は確認できる。

台湾の中央社文化+には、日本のグルメ漫画に描かれた台湾料理を調べた記事がある。『ラーメン発見伝』では牛肉麵を食べた人物が八角に言及し、『喰いしん坊!』では滷排便當の八角の味が登場人物を苦しめ、『駅弁ひとり旅』の台湾篇では台湾を一周する間に八角が繰り返し登場する。記事を書いた台湾側の筆者自身が、日本人は八角という香辛料を非常に気にしており、八角が日本人にとって台湾料理を認識する「鍵になる味」のようになっている、と指摘している。

八角は台湾固有ではない。台湾料理すべてに入っているわけでもない。

それでも日本人が台湾料理を見ると、八角を拾う。

「台湾には八角の匂いがする」という感覚は、八角の使用量だけでは説明しにくい。台湾で何を食べているか、それと同じくらい、こちらが普段何を食べているかが関係している。

台湾へ行くと、八角の匂いに何度も出会う。茶葉蛋にもある。滷味にもある。豬腳にもある。

そして日本の日常には、ほとんどない。

その匂いだけが残る。

台湾料理の中で八角が特別なのではなく、日本料理との差分として八角が特別なのかもしれない。

台湾が八角の匂いなのではない。

日本と台湾のあいだにある匂いが、八角なのかもしれない。


台湾の調味料についての記録

空港を出た瞬間も、深夜のコンビニの自動ドアが開いたときも、夜市で一斉に火が入る時間も、台湾では似た方向の香りが立ち上がる。魯肉飯、牛肉麺、乾麺と料理は違うのに、湯気の奥には同じ輪郭が残っている。

世界の片隅でいただきます

返信を残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です